(つづみ)神社

岡山市北区上高田3628(平成21年8月20日)

東経133度49分51.17秒、北緯34度46分20.9秒に鎮座。

 この神社は上高田公民館北に鎮座しています。岡山空港に近いので、今回の旅で始めに参拝させていただいた神社です。
 参道の入口は日近川右岸にあり、ここには「縣社二宮皷神社」の社号標と鳥居が建ち、弘化3年生まれの構え獅子が居ます。ここからは石段の参道が続きますが、参道は一般道により境内前で一端とぎれています。
 社地入口には随神門が建ち、境内は三段に分かれています。一番下の境内左には神池があり厳島宮が祀られています。中の境内には鐘楼があり、上の境内に社殿が建立されています。大きな拝殿屋根の千鳥破風・唐破風には鬼瓦が取り付けられ、豪華な彫刻類も見られます。本殿に向かって右脇には県内最古とされる宮獅子が一体だけ残っていますが、阿が無いのが返す返すも残念でした。境内左奥には国指定重要文化財の宝塔があり、右奥には境内社も数社祀られています。
 この社は備中の二ノ宮だそうですが、規模が大きく、社殿・境内・鎮守の杜など、全てが行き届いた心遣いを感じられる、素晴らしい神社でした。

 御祭神:遣霊彦命、高田姫命、吉備津彦命、楽楽森彦命、吉備武彦命
 祭礼日:1月1日・歳旦祭、8月15日・夏祭大祓祭、10月第2日曜日・秋祭
 境内社:厳島宮、稲荷神社他
 由緒:第10代崇神天皇の御代の四道将軍大吉備津彦命、御功臣遣霊彦命、県主楽楽森彦命、同御娘にして将軍御后の高田姫命を奉齋する神徳赫々たる名社である。
 主神遣霊彦命は大吉備津彦命の脇将で功に依り大井庄内五ケ所を賜った。後に神を崇め社を建て五神を合わせ祀った。延喜の制で小社に列し、祈年の国幣にあずかる。往時は5社殿あって鼓五社大明神と称した。寛永年間領主木下利当社領2石を寄進し祈願所とした。
 千原寛源勝延祖先の後を襲い木下藩主の命を受け鼓神社神主となり、明治5年神職令改正の時大井以北19箇所村の祠掌を拝命する。同年社格制定の際当国二宮の称号並びに式内18社中であるのに村社に加えられ遺憾に堪えなく意を決し、単身上京し県社昇格に昼夜奔走し、神徳顕現、同14年10月4日県社に列格される。爾後同41年9月、庄田天神社を合祀、社殿を改築、設備を充実し、境内整備等を行い壮麗な様相となる。
 昭和2年神饌所を新築し、県社昇格50年奉祝祭を盛大に執行する。昭和34年4月神社整備、本社屋根葺替正遷座奉祝祭齋行、昭和49年5月、拝殿屋根補修、神輿2基彩式、神幸用具新調、一千年奉祝祭執行、昭和62年5月拝殿瓦葺替、隋神門、荒神社拝殿屋根葺替、境内地、神池を整備し、鼓神社再建650年祭を盛大に執行した。
 当社の境内に1基の宝塔がある。花崗岩製の全高1丈3尺8寸(4、15メートル)という稀しく大きな宝塔で塔身の背面に「大勧進沙門正円・貞和2年10月2日(1345)造立之・大工妙阿」とある。建築史の時代区分からすれば、鎌倉末期に入るべき名品。昭和34年国指定重要文化財の指定を受ける。
(「岡山県神社庁公式サイト」より)

 二宮鼓神社由緒沿革(神紋 舞鶴)
 当社は人皇第十代崇神天皇の御宇四道将軍大吉備津彦命御功臣遣霊彦、此の県主楽々森彦命同御女にして、将軍御后高田姫命を奉祭せる神徳赫々たる名社であります。
 主神遣霊彦命は大吉備津彦命の脇将で功に依り大井庄内五ケ所を賜わった。後代、神を崇め社を建て五神を合わせて祀った。延喜の制で小社に列し、祈年の国幣にあずかる。往時は五社殿あって皷五社大明神と称した。寛永間、領主下利当社領二石を寄進し祈願所となす。千原寛源勝延祖先の後を襲い木下藩主の命を受け皷神社神主となり、明治五年社格制定の際、当国二宮の称号と式内十八社中なるに村社に加えられしこと遺憾に思い、単身上京し縣社昇格に夙夜奔走し、同十四年十月四日縣社に列格さる。爾後同四十一年九月、庄田天神社、楽々森神社外小社を合祀し、社殿を改築、境内整備等壮麗なる様相となる。
 昭和二年神饌所を新築し、縣社昇格五十年奉祝祭を盛大に執行す。昭和三十四年四月本殿屋根葺替正遷座奉祝祭齋行、同四十九年五月、拝殿屋根補修、神輿二基彩式、壱千年祭執行、同六十二年五月拝殿瓦葺替、随神門、荒神社拝殿屋根葺替、境内地、神池を整備し、皷神社再建六百五十年祭を盛大に奉祝せり。
 昭和三十四年より宮山六町面に桧を記念植樹。同五十六年完了。氏子奉仕に依り間伐枝打続行中。昭和六十二年七月神社本殿神社振興対策(第五期)の指定を受け、五十二万五千円の補助を交付さる。懸案の大型駐車場周壁も事竟へ。此の度五ヵ年計画に依り平成七年修築奉賛会を結成して本殿屋根銅板葺替、随神彫刻、東社務所及び輿庫の新築。拝殿大床合天井張替、稲荷神社新築据付、境内地整備等念願の総ての工事完了。私達、神恩報謝の誠を捧げ、神徳益々輝き神社護持と敬神の真心を後世に残し、神社の弥栄と氏子・崇敬者御一同様の家運の御隆昌を祝祷申し上げる次第であります。
(境内案内より)

「二宮皷神社由緒沿革」はこちらで

社頭
参道入口の明神鳥居 社号標
「縣社二宮皷神社」
参道入口にいる弘化3年生まれの構え獅子
阿は子狛犬に、吽は玉に、手を置いています。素朴で優しそうな顔つきで、下半身は逞しく、太い尾を立てています。厳つく低く身構えた出雲の構え獅子とは大分感じが違います。
狛犬の拡大写真はこちらで
(弘化3年(1846)9月吉祥日建立)
石段参道の様子
社地入口
参道は一般道により境内前で一端とぎれています。
随神門
神池 神池内に祀られる厳島宮
下の境内の様子
中の境内入口
社殿が建つ上の境内の様子
拝殿
拝殿屋根の千鳥破風・唐破風には鬼瓦が付けられています。
拝殿屋根にいる瓦材狛犬
拝殿唐破風下の彫刻・鳳凰
拝殿向拝彫刻・龍、鶴
拝殿長押上彫刻・虎と海老
本殿
本殿に向かって右脇に一体だけ残る宮獅子
本場・岡山県下で製作年が残されている備前焼狛犬では最古の物だそうです。阿が無いのが残念です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(森五兵衛正統作 文政4年(1821)正月吉日建立)
境内社入口
境内社 拝殿と本殿
境内社 境内社:稲荷神社
地神 地神
国指定重要文化財・宝塔
花崗岩製の全高1丈3尺8寸(4.15m)という稀しく大きな宝塔で塔身の背面に「大勧進沙門正円・貞和2年10月2日(1345)造立之・大工妙阿」とあります。
拝殿前から入口を振り返る。