幸地山(こうちやま)神社

岡山市東区邑久郷1328(平成21年8月23日)

東経134度04分50.55秒、北緯34度36分55.44秒に鎮座。

 この神社は234号線と28号線のぶつかる宿毛地域の交差点から南西に約600mに鎮座しています。私達は一番距離のある溜池付近の北参道入口から入りましたが、5方向からの参道があるようです。
 北参道は一の鳥居から境内まで約250m続き、途中にはメンヒルや二の鳥居が建ち、深い森の中でのゆったりした散策気分が満喫できます。境内入口には三の鳥居と灯籠が立ち、天保15年生まれの浪速狛犬がいます。随神門を入ると参道中央に長床が建てられ、境内には双殿造りと呼ばれる、2つの社を1つの拝殿で繋ぐ珍しい形式の拝殿が建ち、その奥に別々の2本殿が建立されています。又、境内社や磐座のような石もありました。
 鳥の鳴き声がすぐ傍で聞こえる程静かで、神々しいという形容がピッタリの神寂びた神社でした。

 御祭神:応神天皇、神功皇后、姫大神、天御中主命、菅原神
 祭礼日:1月1日・歳旦祭、5月13日・春祭、10月9日・例祭
 境内社:一社
 由緒:主祭神に応神天皇・相殿に神功皇后及び姫大神を祀る。
 数度の火災により古文書は焼失したが、「備陽国史」によると八幡宮は京都山城国石清水八幡宮、天満宮は京都北野天満宮から勧請された。
 邑久郷はもと太伯(おく)の郷と言われ、邑久郡の原(もと)で総社をこの地に定め、古来祝祭日には、郡内式内外古社18 社の神を奉斎し、里人は総社様と呼び、崇敬した。
 幸地山は「いでましどころ」と称し、天皇行幸地の意で、神武天皇御東征の時、御船を停め山の南端鳥越から、景色を眺望された所である。
 また、古老の口碑によると寿永年間源平合戦の際、当社にあった鐘を弁慶が陣鐘に持ち去り、今は屋島寺にあるという。故に、備讃瀬戸の船頭歌に「屋島の鐘の音聞けば備前恋しや程遠や」と歌われている。
(「岡山県神社庁公式サイト」より)

北参道入口 明神鳥居
約250m続く参道の様子
境内入口 三の鳥居 三の鳥居に架かる額
参道途中にいる天保15年生まれの浪速狛犬
吽には小さな角があり、顎に架かる鬣の巻き毛の渦がサザエの貝殻のような狛犬です。阿はのんびりと、吽は気むずかしく構えています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(天保15年(1844)甲辰建立)
随神門
長床
双殿造りと呼ばれる、2つの社を1つの拝殿で繋ぐ珍しい形式の拝殿
向かって左・天満宮、右・八幡宮
八幡宮本殿
天満宮本殿
境内社
磐座? 祭祀場?