窪八幡宮

岡山市東区久保618 (平成25年11月4日)

東経134度03分12.18秒、北緯34度39分48.83秒に鎮座。

この神社は、JR赤穂線・西大寺駅の東北東1.5km程の辺り、久保の北外れの山沿いに鎮座しております。

岡山市久保にあるお宮で、もと郷社でした。祭神として応神天皇、神功皇后、比売大神の三神が祭られています。清和天皇の時、859(貞観元)年8月23日、上道郡金岡東荘内の領主であった藤井左馬之進弘清が宇佐八幡宮を勧請し、その後藤井家が神職を仰せ付けられたと伝えられ、1898(明治31)年には祝部家に引き継がれました。随身門は江戸時代中期の享保年間に再建されたもので、また拝殿前の鳥居は1829(文政12)年3月に建てられました。そして、1988(昭和63)年には、本殿大屋根の払い葺きが行われました。

御祭神 品陀和氣命・神功皇后・姫大神

由緒
創建年代不詳。久保の地は江戸時代には備前国上道(あるいは上東)郡久保村と称し、中世には備前国金岡東荘と称した。これ以前のことは明らかではないが、和名抄に見える上道郡豆田郡の地内に属していたものとお思われる。吉井川が児島湾に注ぐ地点に近く、河口の西大寺市に接し、自然の要衝をなし文化が早くから開けた地である。
岡山県神社庁公式サイト より

御祭神 品陀和気命(応神天皇)・息長帯姫命(神功皇后)・仲哀天皇・伊邪那岐命・ 伊那那美命

御由緒
第五八代清和天皇の御世、備前国上道群窪の庄内の領主であった藤原朝臣藤井左馬之進弘清が豊前国宇佐神宮を信仰し毎年参拝しておりました。ところが、老年になって参拝が不自由になったため領内に八幡神を勧請して信仰を尽くそうとしました。そこで窪庄内の氏神若宮の地に社殿を造営し貞観元年(西暦八五九年)八月二十三日、奈良大安寺の僧、行教和尚に依頼し、豊前国に御鎮座されている、宇佐神宮を勧請し、窪八幡宮として崇敬し弘清及び窪庄内の人々の氏神としました。この後、この勧請した神を主祭神とし、若宮を摂社として祭祀がなされるようになりました。同じく八幡神を祀るお宮として名高い石清水八幡宮の建立はこの翌年、鶴岡八幡宮は治承四年(一一八〇年)と三〇〇年後のことであります。当宮は古来より、武運・勝運の神として、時の領主や?武人の尊崇厚く、足利尊氏、赤松正則、松田元成、宇喜多?直家・秀家、池田光政など多数の参詣の記録が残されています。また、境内には地元鞄V満屋、両備バスをはじめ、京阪神、四国など全国各地から貴紳・豪商の参詣・寄進が名を列ねています。
窪八幡宮公式サイト より

神社遠景

社号標

鳥居

参道

随身門

境内入口に立つ二の鳥居

拝殿

本殿


若宮八幡宮

稲荷神社

福禄寿神
寿老神
弁財天 毘沙門天
布袋尊 不明
恵比須天 大黒尊