北居都(きたこづ)神社

岡山市東区東平島1468 (平成25年11月2日)

東経134度03分07.23秒、北緯34度42分19.60秒に鎮座。

この神社は、JR山陽本線・瀬戸駅から南3km程の辺り、平島団地の北東にある古墳のような小山の上に鎮座しております。すぐ南には「南居都」という地名があり、ここも北居都と呼ばれたことがあったようです。元の八幡宮に祇園社、天神社等多くの神社を合祀した為、地名の北居都を社名にしたと思われます。

御祭神 八束水臣津奴命・築桙等乎留比古命

北居都神社は、ここ平島地区を米作りの地として開かれた八束水臣津奴命(やつかみずおみつぬのみこと)と築杵等手留比古命(つきほことうてるひこのみこと)御兄弟神を主祭神として祀る、この地発祥・開拓の祖神、総産土神です。創建年代は定かではないものの、古くは推古八(600)年とする縁起巻物もあります。平島地区の数社を合祀した明治四十三(1910)年、居都八幡宮から現在の名に改められました。
この神社と近辺神社との位置を地図上で結ぶと、菱形(ダイヤモンド=玉)や剣の形になります。一方、拝殿の屋根には、八角の鏡(八咫の鏡)の中に「居」の文字をかたどった鬼瓦があり、玉、剣、鏡の「三種の神器」が揃います。神社の位置選定に、先人のすばらしい知恵が生かされたことが分かります。
また表参道は東向き、社殿は東南東向きになっています。これはそれぞれ春分・秋分と冬至の太陽の昇る方角です。太陽と関係の深い農耕、米作りとのつながりが、ここからも見て取れます。
境内由緒書き より

由緒
創建年月不詳。社伝によると八束水臣津奴命は築杵等手留比古命とご兄弟で、素盞嗚命の御子である。八束水臣津奴命が真銕吹く吉備の国に到リましたところ、遠い昔の上津道居都の辺りは海であったが、築杵等手留比古命と力を協せ、殖産興業の道を教え給い、漣波寄せる平島居都の御山に鎮り給うた。(北居都神社縁記)上代は八束水臣津奴命を北居都、南居都の両神社に分祀し、築杵等手留比古命を西平島築杵神社に奉斎した。神功皇后が三韓征伐の時この津に碇泊せられ、帰途にも船寄し給うたと伝えている。この縁で、住吉三神・神功皇后・仲哀天皇を配祀するようになった。明治43年5月9日に本宮北居都神社に、築杵神社・南居都八幡宮・帆負八幡宮を合祀し今日に至っている。神階は従五位上で、延喜式外社、神饌幣帛料供進神社に指定せられた。
岡山県神社庁公式サイト より

参道入口

鳥居

神額

平成生まれの出雲型狛犬。拡大写真はこちら。
(平成19年(2007)10月吉日建立)

注連柱

参道脇の末社

神門

随身様

拝殿

拝殿内部

本殿


伊勢神宮遥拝所

祇園宮

神額

流石岡山県、石造ですが何やら宮獅子風であります。拡大写真はこちら。
(平成12年(2000)10月吉日建立)

拝殿

本殿


稲荷神社

天神社・若宮

木野山神社 荒神社
保食神社 波多知原神社・多賀神社