新庄八幡宮

倉敷市児島阿津2-18-1(平成21年8月21日)

東経133度48分20.32秒、北緯34度27分0.02秒に鎮座。

 この神社は瀬戸中央道・児島インター東、赤崎公園内に鎮座しています。
 参道入口には灯籠と一の明神鳥居が建ち150m程先の小丘上に境内があります。石段を上がった入口には随神門が建ち、更に石段を上がると明るく広々とした境内があります。
 正面には平成3年に完成した入母屋平入千鳥破風向拝唐破風銅板葺きの豪壮な拝殿が建ち、その奥の入母屋平入千鳥破風唐破風総齣「り銅板葺きの本殿は文化2年(1805年)の建築です。
 境内左右には沢山の境内社も祀られ、山の上の境内からは瀬戸内海の様子も良く見えました。

 御祭神:品陀和氣命、足仲彦命、息長帶比賣命
 祭礼日:7月最終日曜日・夏祭、10月第2日曜日と前日・例祭
 境内社:塞神社、祓戸神社、若宮、兵主神社、素盞嗚神社、明治神宮、金刀比羅宮、塩釜神社
 由緒:創立は大宝元年(701)8月13日、豊前国宇佐の宮から勧請した。
 当時の人々は創立鎮座の年月を記念して通常祭事を執行する他、必ず古式の神事を行う例を残した。
 その後当社に災いがあり、伝来の旧記悉く烏有に帰しその行事の例のみ残ったが、戦乱の世に及んで古儀古式は紊乱してしまった。
 明治43年には塩釜神社、八柱神社、海神社、恵美須宮を合祀した。
 当社は味野(井戸、橋本、城、本村)・赤崎・阿津・大畠・田之浦の氏神様であり、新庄(元は新荘)の名は、本荘(宇野津・塩生・通生・下津井・吹上・菰池)に対しての新庄(味野・赤崎・阿津・大畠・田之浦)をいう。本荘と新庄に分かれたのは平安時代末期と考えられている。
 正面参道石段を登りきったところの左右にある石灯籠は、土地の豪族で大庄屋であった富田屋(洲脇氏)が、宝暦9年(1759)に寄進したものである。
 参道中程にある〆柱は大庄屋であり、近郊の塩田を開発した野崎武左衛門(1789〜1864)の孫、武吉郎(貴族院議員1848〜1925)が明治36年に奉納したものである。(碑文は厳谷修書)
 新庄八幡宮の鎮座する山は海抜60m程の小さな山であるが、「赤崎新庄八幡宮遺跡」に指定されており弥生時代中期の壺が発掘された。
(「岡山県神社庁公式サイト」より)

新庄八幡宮公式サイト」はこちら

参道入口に建つ灯籠と一の明神鳥居
社頭
神社入口
随神門
境内入口
社殿全景
拝殿前、天保10年生まれの浪速狛犬
首が無く、石の塊のような姿ですが、彫りはしっかりとされています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(天保10年(1839)己亥4月吉日建立)
千鳥破風・唐破風付き拝殿
本殿
傷つきながらも本殿を護る健気な狛犬達
直置きなので建立年代は不明です。穏やかな顔つきで、扇型の尾が背に張り付いています。何があったのか損傷が激しいですね。
狛犬の拡大写真はこちらで
遥拝所 境内社:金刀比羅宮(左)、塩釜神社(右)
境内社:素盞嗚神社 境内社:兵主神社(左)、明治神宮(右)
境内社:塞神社 境内社:若宮
境内社:祓戸神社 末社群
境内から見える山側と海側の風景