足高(あしたか)神社

倉敷市笹沖1033(平成21年8月21日)

東経133度46分6.36秒、北緯34度34分23.65秒に鎮座。

 この神社は倉敷駅の南約2.6Km、2号線南にある足高公園山頂部に鎮座しています。公園への入口は何カ所もあるようですが、私達は南東に付けられた表参道からの参拝を選びました。入口には郷社から縣社へと昇格した時に祈念として建てられてのでしょうか?「式内郷社 足高神社」と「式内縣社 足高神社」の二基の社号標が建っています。鳥居脇には弘化2年の浪速狛犬もいます。(この社のそれぞれの入口には狛犬が奉納されているようですので、御覧になりたい方はサイト「神社風来記」にてどうぞ。)
 境内には石段の参道を約150m程上がっていきますが、途中には末社も祀られ、そんなにきつくない石段で、竹林や自然林の気持ちの良い参道です。
 石段が終わり平坦な参道に出るとすぐ右が境内で、ここには足高の神に敬意を表し難を逃れた為崇め称された「帆下宮」の社号標が建っています。
 境内入口には寛政元年生まれの浪速狛犬がおり、拝殿正面に向かう回廊が趣ある姿を見せています。拝殿内には木製神殿狛犬が置かれ、檜皮葺の厳かな本殿脇には備前焼の宮獅子が奉納されています。
 その他境内には磐座と共に沢山の境内社が祀られ、境内から倉敷の町並みが眼下に見られる、素晴らしい景観と神域の雰囲気が味わえる神社でした。

 御祭神:主神・大山津見命、配神・石長比賣命、木之花佐久夜比賣命
 祭礼日:3月15日・祈年祭、10月第2土日・例祭(秋祭り)、11月28日・新嘗祭
 境内社:金刀比羅宮、石上神社、水分神社、稲荷神社、顧眄神社、国魂神社
 由緒:大山津見命は国土御守護の御神で土上に繁殖する五穀は基より人類草木金銀何によらず一切の物を守り給うのでその功徳の広さは大きな山を積み重ねたる様でその御名がついたと言われます。石長比売命は寿命御守護の御神で人の寿命を堅磐常磐に長久する様にとその御名がついております。木之花佐久夜比売命は熱の病を治せられ給う御神でその名の通り櫻の花の様にやさしく美しく安産の御神でもあられます。
 鎮座
 現存する神社記録の最古の書は平安時代醍醐天皇九二七年(延長五年)に編さんされた延喜式神名帳です。式内社とは延喜式内社の略称です。延喜式は国家行政の基本的施工細則でありその第九・第十巻が神名帳でこれには当時の代表的な神社二千八百余を全国にわたって例載しています。これらはいわゆる官社でいづれも国家の宗祀とあがめられ神社信仰の中心でこの書の中に足高神社は記載されており備中十八社の一なる最古社であります。ご鎮座の年代は人皇第十代崇神天皇の御代に勧請され今から約二千年前です。
 ご社号
 天保年間迄は葦がおい茂った中に奉斎していた意もあり葦高神社と書いておりましたが延喜式神社名帳には足高神社とありますので以後書き改めております。又、一時期葦高八幡大菩薩として奉斎されその姿は”酒津八幡宮””老松八幡宮”にご分霊となって現今継承されております。
 皇室との関係
 ・寛和元年花山天皇の御代に足高神社神宮寺神遊山神宮寺遍照院に三重塔の建立あり。
・乾元元年後二条天皇の御代足高八幡大菩薩の勅額のご下賜。
・延慶元年三月花園天皇の御代勅額と獅子頭一対をご下賜。
・天暦元年二月十六日村上天皇は藤原兼成卿を使わして奉弊御祈願の儀あり。翌三年不思議な霊験あり神殿をご造営になり有紋の御幕勅書を御奉納。
武将の信仰
 ・天授九年八月九州探題として赴任の今川貞世公は海路の安全を祈願され高麗狗を奉納。
・徳川時代備前池田公の支藩鴨方池田氏の祈願所として尊信せられ世継の際は代々必ず参拝がありました。
 帆下げの宮とは
 足高山は四百年前は海中に浮かぶ一孤島であり小竹島、笹島、戸島、藤戸島、吉備の児島、奥津島とも呼ばれ東西航行の要路でありましたが潮流の動きが激しく通る船はすべて帆を下げて山上の神に敬意を表し危難を逸れた為足高神社を帆下げの宮と称してあがめ奉りました。
(「境内由緒書き」より)

 当社の現存する神社記録の最古の書は、平安時代・醍醐天皇延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳である。この書のなかに当社は記載されており、備中18社の1に数える最古社である。
 御鎮座の年代は、第10代崇神天皇の御代に勧請された。
 寛和元年(985)花山天皇の御代、足高神社神宮寺神遊山、神宮寺遍照院に三重塔が建立された。
 天暦元年(947)2月16日村上天皇は藤原兼成卿を遣わして、奉幣御祈願の儀があった。翌3年不思議な霊験があって神殿を御造営になり、有紋の御幕勅書を奉納され、乾元元年(1243)後二条天皇の御代、足高八幡大菩薩の勅額の下賜があった。
 延慶元年(1308)花園天皇の御代、勅額と獅子頭一対を下賜。また、建徳元年(1370)九州探題として赴任の今川定世公は、海路の航海の安全を祈願され狛犬を奉納した。
 徳川時代備前池田公の支藩、鴨方池田氏の祈願所として尊崇せられ、代継ぎの際は、代々必ず参拝された。
 足高山は、4百年前は、海中に浮かぶ一孤島であり、小竹島、笹島、戸島、藤戸島、吉備の小島、奥津島とも呼ばれ、東西航行の要路であり、潮流が激しく鳴門の如く、渦が巻いていたといわれており、通る船は、全て帆を下げ、島上の足高の神に、敬意を表し難を逃れた為、「帆下げの宮」と称して、崇め奉られた。古の海路は、現在、国道2号線(旧バイパス)となり、船に代わり、車の交通安全が盛んとなっている。
(「岡山県神社庁公式サイト」より)

 「境内由緒書き」はこちらで

参道入口 社号標
「式内郷社 足高神社」
参道入口にいる弘化2年生まれの浪速狛犬
吽には頭上に小さな突起が付いています。体に比べてすっとのびた前脚が細すぎるような気がします。
狛犬の拡大写真はこちらで
(弘化2年(1845)秋8月建立)
参道入口に建つ明神鳥居 社号標
「式内縣社 足高神社」
参道の様子
石段参道入口に建つ
変わった社号標「葦高神社」
石段参道の始まりです。
長い間続く石段参道
途中右手に祀られる末社 更に続く石段参道
石段が終わり平坦な参道に出るともうすぐ境内です。 境内下の社号標
「帆下宮」
境内入口
境内入口にいる寛政元年生まれの浪速狛犬
この時期の浪速狛犬としては端整な顔立ちで、蹲踞の形も整い、体のバランスが良い狛犬です。チョコンと出ている吽の牙がチャームポイントですね。前脚に紐が巻かれています、願掛け狛犬なのでしょうか?
狛犬の拡大写真はこちらで
(寛政元年(1789)秋8月吉日建立)
拝殿正面に付けられた回廊
拝殿
拝殿目貫彫刻・龍
拝殿木鼻・象
拝殿内の様子
拝殿内の木製神殿狛犬
この社には「天授九年(1383)八月九州探題として赴任の今川貞世公が海路の安全を祈願され高麗狗を奉納。」という記録が残っています。遠目でしか見られなかったのと神殿狛犬については知識量が少ないのとで、しかとは断言できませんが、この狛犬は神殿狛犬特有の規範に則ってはいますが綺麗に残りすぎている気もします(大事に取り扱われていたのでしょうが…)ので、上記の狛犬かどうかは疑問の残るところです。(注:天授は南朝の元号で実際は7年までしかありません。1383年は弘和3年となります。)
檜皮葺の本殿
本殿左右に控える建立年代不明の備前焼宮獅子
狛犬の拡大写真はこちらで
境内社:金刀比羅宮
境内社:石上神社
境内社:国魂神社
境内社:水分神社
境内社:磐座様
境内社:稲荷神社
 
境内社:顧眄神社
境内から見える倉敷の町並み