青江神社

倉敷市酒津2119(平成21年8月24日)

東経133度45分20.45秒、北緯34度36分54.85秒に鎮座。

 この神社はクラレ中央研究所の南に鎮座しています。入口は伯備線の線路脇にあり、天保6年生まれの浪速狛犬と「王子権現宮」の額が架かった鳥居が建っています。石段参道を上がった境内は明るく、松の木越しに拝殿が見え、その後ろ玉垣内には妻入りの本殿があります。参道途中や境内に境内社が数社祀られていました。

 御祭神:五十猛命、素盞嗚命、金山彦神、金山姫神
 祭礼日:旧暦1月7日・歳旦祭、5月第4土、日曜日・春季例大祭、10月第4土、日曜日・秋季例大祭
 境内社:地神社(社日)、金山神社、篁神社、疫神社、白鳥神社、荒神社、城山稲荷神社、木野山神社他
 由緒:旧村社で、御祭神素盞嗚命、五十猛命は吉備穴海、高梁川接点の津の神であり、金山彦神、金山姫神は鎌倉、室町期に栄えた青江鍛冶の守護神と伝えられている。
 また、平安期には山岳仏教の聖地「福山」山頂にあった福山寺の守護神として、東の一王子権現、西の王子権現(青江神社)を建立した。両社共に五十猛命、素盞嗚命を御祭神としたが、延元元年5月足利勢により新田勢は全滅し、社寺は悉く焼失した。(太平記福山夏の役) 
 後醍醐天皇の建武年中、西郡村福山城主大江田式部大輔氏経、が社領50石を寄進した。(黄薇史)また、同氏は新田勢の主将として1500の兵で30万の足利勢と3日間奮闘し、全滅した。
 正親町天皇の御代天正6年、西郡村高山城主石川左衛門尉久式が社領20石を寄進した。
 大正3年境内摂社荒神社、境外摂社疫神社を境内神社とし、無格社金山神社を同年5月、本殿に合祀した。
 昭和20年神饌幣帛料供進神社に指定される。
 昭和26年境内地を拡張し、社殿を移転、屋根葺替。昭和35年1月19日幣、拝殿火災により焼失。昭和37年本殿改修、幣、拝殿改築。
(「岡山県神社庁公式サイト」より)

「青江神社略記」拡大写真はこちら

  

社頭
入口に建つ明神鳥居 鳥居に架かる額
「王子権現宮」
入口にいる天保6年生まれの浪速狛犬
眉が太く、叔父さん顔の堂々とした狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(天保6年(1835)乙未9月吉日建立)
石段参道の様子 石段参道途中に祀られている
地神社(社日)
石段参道途中に祀られている境内社:金山神社
境内の様子
拝殿
本殿
境内社:篁神社 境内社:疫神社
境内社:白鳥神社 境内社:荒神社
境内社:城山稲荷神社 境内社
境内社:木野山神社