阿智神社

倉敷市本町12-1(平成21年8月21日)

東経133度46分33.62秒、北緯34度35分35.95秒に鎮座。

 この神社は倉敷駅の南東、倉敷の中心部・美観地区の鶴形山山頂に鎮座しています。参道入り口からは石段の参道が続き、登り切ったところに神域を守護する前宮が祀られています。そこから少し平坦な参道を進むと、左側に石段が造られ、直登したところに注連柱が建ち、狛犬が居ます。その上に建つ随神門内にも端正な木製神門狛犬が居ますが、金網の中で余り良くは見えません。
 境内中央には入母屋造りの大きな拝殿が建ち、幣殿・中門・本殿と続いて建立されていますが、どの社殿も彫刻が施され、華麗且つ荘厳そのものです。
 広い境内には沢山の境内社が祀られ、又、蓬莱思想に基づいた日本最古の鶴亀様式の古代庭園とも伝えられる天津磐境の他、盤座・磐境が点在し、能舞台、絵馬殿等も建立されています。
 倉敷の総鎮守という事で神社も素晴らしい佇まいを見せていますが、それと共に緑豊かな森も癒し効果満点、ゆっくりと散歩なども良いかもしれません。

 御祭神:多紀理毘賣命、多岐都比賣命、市杵嶋比賣命
 祭礼日:5月5日・藤祭 、5月第3土・日曜日・春季例大祭、10月第3土・日曜日・秋季例大祭
 境内社:荒神社、菅原神社、倉敷護国神社、城山稲荷社、戎・大黒、火産巣霊社
 由緒:倉敷の古名は「阿知」であり、当社は倉敷総鎮守の神社である。
 これは、日本書紀応神記(4世紀)に「阿知使主(あちのおみ)が韓国より17県の人達を率いて帰化してきた」とあり、阿知使主の一族がこの地に住み着いて、養蚕・絹織・縫製・鉄文化等の先進技術を伝え、広め、大いに栄えたことに由来している。
 また、社記には神功皇后三韓征伐の途中、暗闇に航路を見失われ宗像三女神に祈願された時に、三振りの剣が雷鳴と共に天空から明るく輝いてこの地に降ったため、応神天皇の御代に妙剣宮(妙見宮)と称してこれを祀ったと記されている。
 古来この一帯は吉備の穴海と称され、内海深く湾入し社地は内亀島という小島であったため、海の交通交易の守護神である宗像三女神を奉斎したとも伝えられている。
 室町末期、慶長、元和の頃から祭祀は当地草分けの有力者の木綿襷組(ゆふだすきぐみ)が交代執行し、江戸中期に観竜寺の別当が管理し、神仏混淆して明治に至ったが、同2年神仏分離令により妙見宮を阿智神社に復号した。
 当社は倉敷の中心部、美観地区の鶴形山の頂上にあり、広い境内には蓬莱思想に基づいた日本最古の鶴亀様式の古代庭園とも伝えられる天津磐境の他、盤座・磐境が点在し、中腹の斎館の風雅な庭には陰陽の盤座のほか水琴窟もある。また、能舞台、絵馬殿、芭蕉堂等もあり、本殿北側の「阿知の藤」は曙藤では日本一大きく古く、倉敷市の市花でもあり、県の天然記念物に指定されて、毎年5月5日の藤祭には多くの人で賑わう。
(「岡山県神社庁公式サイト」より)

阿智神社公式サイトはこちら

参道入り口 明神鳥居 社号標
「倉敷総鎮守 阿智神社」
入り口からの石段参道
平坦部に入ってすぐに祀られている前宮
右に曲がった後の参道
左に曲がって石段参道
境内入口への石段参道と注連柱
注連柱後ろにいる文化14年生まれの浪速狛犬
吽には小さな突起があります。浪速狛犬としては端整な顔立ちで、蹲踞の形も整い、体のバランスが良い狛犬です。
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(文化14年(1817)8月建立)
随神門
随神門内にいる木製狛犬
網の付いた格子戸越しで良くは見えませんが、上品な顔立ちの出来の良い狛犬のようです。
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入母屋造りの大きな拝殿
拝殿に架かる太い注連縄
本殿側に向いた幣殿唐破風と彫刻の施された扉
檜皮葺きの中門
檜皮葺きの華麗な本殿

境内右から境内社各社

祖神 天照皇大神
(五画柱碑)
  
東方遥拝所
菅原神社

菅原神社を護る天保9年生まれの玉乗り狛犬
足が短く胴が長いダックスフントのような狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(天保9年(1838)4月吉日建立)
城山稲荷社
稲荷社の御眷属・お狐様
筆塚 火産巣霊社 戎・大黒
 
荒神社
ただいま社殿の改築中です。
ということで天保11年(1840)生まれの玉乗り狛犬さんも休養中
狛犬の拡大写真はこちらで
鶴亀の石組(古代庭園跡)
向かって左側・亀石組、右側・鶴石組
「阿智神社の杜」案内はこちらで
亀甲石 亀頭石
鶴石組 羽石
高灯籠 絵馬殿
神楽殿
境内から見える倉敷の町並み