皇子神社

笠岡市押撫443 (平成25年11月3日)

東経133度27分36.13秒、北緯34度31分40.93秒に鎮座。

この神社は、山陽自動車道・篠坂PAの南500m程の辺り、陶山小学校の西15m程の山沿いに鎮座しております。

御祭神 神武天皇

由緒
祭神は神武天皇(神日本磐余彦命)である。神武天皇の別称を「天神御子」と呼ばれる所から皇子神社に祭られたものと考えられる。もとは皇子大明神とよばれていたが、明治四年(1871)一月倉敷県神社調査の際、皇子神社と改称し明治十年三月村社に列せられている。
氏子は押撫地区の全戸である。押撫地区は、古代には小田郡出部郷の篠坂に属したり、備後国の大宅郷の坪生に属したこともあった。中世の荘園制度のもとでは、陶山庄の篠坂に属した時期と、坪生庄に属した時もある。いずれにしろ篠坂とは一体であり、篠坂山泉福寺一統の守神熊野神社の分霊が押撫に九十九の王子をまつる神社、即ち「皇子神社」として分社されたものである。また押撫地区の大半の菩提寺は篠坂との境にあった篠坂山普門寺観音院星蔵坊である。江戸時代になり、毛利元康の領土から慶長五年(1600)幕領と変わり、さらに元和五年(1619)備後福山水野領となる。ところが、再び元禄十一年(1698)幕府領となり笠岡代官の治めるところとなった。
境内由緒書き より

明治の世になり抹香臭い、熊野権現の御子神「王子」が嫌われ、神武天皇を御祭神とする「皇子神社」と改称させられたようです。当神社の東1km程の所の熊野神社があり、江戸時代ミニ熊野詣でがおこなわれていたのでしょうか。

神社入口

鳥居

「王子神社」の神額

境内入口

境内入口左右のおでこな狛犬。拡大写真はこちら。
(昭和10年(1935)旧3月3日建立)

拝殿

本殿


手水石