総社

加賀郡吉備中央町加茂市場1567(平成21年8月20日)

東経133度45分41.25秒、北緯34度51分45.8秒に鎮座。

 この神社は66号線が31号線とぶつかる信号から南東に進み、宇甘川を渡ると約150mで右側に鎮座しています。道路の反対側には加茂大祭を解説してあるお祭り会館が平成6年に建設されています。
 この社の記憶は何といっても県郷土記念物に指定されている社叢で、杉、桧、公孫樹などの大木が、境内中にまさにニョキニョキと聳えていたことです。かなり広い境内なのですが、それでも一枚の写真に収まりきれず二枚の写真を合成した大木もあります。
 入口から見える景観は鳥居に低い石積み、普通の神社のように玉垣で境内を囲ったりはしていません。それでも神社としての深遠たる雰囲気は抜群です。入口からは鳥居を通して随神門、拝殿が真っ正面に見えます。その随神門を潜ると拝殿前には丸々と太った構え獅子が居り、唐破風付きの拝殿後ろには玉垣内に妻入りの本殿が建立されています。
 本殿左右には、寄宮祭で各神社の御神輿が渡御される長床が造られ、背後の森の下には総社らしく沢山の境内社が祀られています。又、県指定文化財「総社石燈籠」により、燈籠が桃山時代までは一基のみの奉納だということを初めて知りました。
 人間を始めてかれこれ六十数年を過ぎましたが、まだまだ知らないことが多くあり、神社を廻るようになってからは勉強の連続で、随分色々な知識が増えました。ありがたいことです。

 御祭神:大己貴命、天照皇大神
 祭礼日:10月第3日曜日・備前加茂大祭、4月15日に近い日曜日・祈年祭、12月15日に近い日曜日・新嘗祭
 境内社:火鋒神社、疫神社、森神社、宮芝?神社、地神等多数
 由緒:この社は通称・備前加茂総社宮(ビマエカモソウシャグウ)といい、光仁天皇宝亀2年(771)の勧請に係る無辺の古社である。備前国奥津高郡元長田荘の崇祀総氏神として、1200余年間、皇室官民の等しく崇敬尊神する社である。 後冷泉天皇天喜年間(1053〜58)、加茂郷内鎮座の式内外の古社8社を相殿に配祠して最荘厳盛大、県下稀有の備前加茂大祭を創始し、現在に至っている。
 弘安4年の国難に当たり当社社頭に燈籠一基が献進され蒙古降伏の祈願が行われた。(この石燈籠は県下最古の八角燈籠である。)また、貞治4年藤原経明銘の石造り地蔵菩薩立像の造立等は、かつての神仏混淆の歴史を物語っている。永正年間虎倉城主伊賀久隆が社殿を再建したが、伊賀氏滅亡と共に荒廃する。寛文9年、岡山藩主池田光政が社殿・末社に至るまで造営し、更に神領の寄進(高石)、神職任命等を行った。
 明治40年神饌幣帛料共進神社に指定され、昭和14年12月郷社となる。
 平成2年台風で本殿が半壊したが、解体修復工事が行われ、同4年5月復元する。平成6年総社宮前に「お祭り会館」が建立される。例年10月20日(平成元年10月から10月第3日曜日)執行の当社の大祭は、古くから備前加茂大祭と称し、岡山県下三大祭の1つである。大祭の起源は天喜年間、郷内悪疫消除の報賽渡御式に始める。祭は加茂郷内鎮座の8神社の神輿を奉じ総社宮に集まる寄宮祭で、950年の歴史を伝える。
(「岡山県神社庁公式サイト」より)
 因みに寄宮祭に集う「加茂郷内鎮座の8神社」とは
鴨神社〔上加茂471〕 ・化気(けぎ)神社〔案田5〕 ・松尾神社〔上田東506〕 ・日吉神社〔下加茂1479〕 ・素盞鳴神社〔和田129〕 ・八幡宮〔豊岡上184〕 ・天計(あまはかり)神社〔豊岡下2667〕 ・三所神社〔三納谷1179〕です。

社頭 明神鳥居
上から太い〆の子を被せた、めおと綯いの長い注連縄が垂れ下がっています。
随神門
拝殿前、昭和13年生まれの構え獅子
天を突くかの様な太く大きな尾を背中で支える手法の狛犬は、広島・愛媛などと共通しています。何処が始まりなのでしょうか?
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和13年(1938)3月吉祥日建立)
拝殿
本殿
境内社 境内社
境内社 境内社:右・火鋒神社
境内社:疫神社、森神社 境内社:宮芝?神社
境内社 地神碑
境内左の長床
日吉神社、松尾神社、化気(けぎ)神社、鴨神社の渡御所の様です。
 
境内右の長床
素盞鳴神社、八幡宮、天計(あまはかり)神社、三所神社の渡御所の様です。
 
本殿左手前に置かれた県指定文化財「総社石燈籠」
本殿右手前に置かれた県指定文化財「石造地蔵菩薩立像」

境内右に聳える県郷土記念物・大杉


境内左に聳える県郷土記念物・大ヒノキ
境内前方右隅に聳える県郷土記念物・大イチョウ
境内後方右隅に聳える県郷土記念物・大イチョウ