甘樫坐(あまかしにます)神社

高市郡明日香村豊浦626(平成23年1月8日)

東経135度48分54.49秒、北緯34度28分43.12秒に鎮座。

 この神社は橿原神宮前駅の東約1.7km、甘樫丘の北西麓に鎮座しています。
 道路を挟んで東側に推古天皇豊浦宮跡保存遺構が残っている太子山 向原寺があり、江戸時代から御祭神が推古天皇となったのも、この豊浦の地を推古帝が皇居としていたためだと思われます。
 低い石垣上の境内は生け垣で区切られ、正面に大きな割拝殿、奥に鳥居と共に三社殿が建立されています。
 又、境内には謎の石造遺物・立石が注連縄を掛けられて祀られています。

 主祭神:推古天皇、相殿:八幡宮、春日大明神、天照皇大神、八咫烏神、住吉大明神、熊野権現
 祭礼日:例祭・9月18日
 特殊神事:神事「盟神探湯」・4月の最初の日曜日
 由緒:式内社で、旧社格は村社。
 推古天皇を主祭神とし、相殿に八幡宮・春日大明神・天照皇大神・八咫烏神・住吉大明神・熊野権現を祀る。
 『五郡神社記』には八十禍津日神・大禍津日神・神直日神・大直日神とあり、これが元々の祭神であった。推古天皇を主祭神とするようになったのは江戸時代以降のことである。
 武内宿禰による創建と伝えられる。『日本三代実録』貞観元年(859年)正月27日条に従五位下甘樫神に従五位上の神階を授けるという記述がある。延喜式神名帳には「大和国高市郡 甘樫坐神社四座」と記載され、大社に列格、月次・相嘗・新嘗の奉幣に預ると記されている。
 甘樫丘は古代、盟神探湯が行われたという地であり、中世の『五郡神社記』にも当社のことが「湯起請の神」と記されている。これらのことに因んで、戦後、盟神探湯神事が行われるようになった。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

 特殊神事「盟神探湯」は裁判の一種として考えられ、煮え湯の入った釜に手を入れ「正しき者にはヤケドなし、偽りし者はヤケドあり」という極めて荒い裁判の方法です。「日本書紀」によれば允恭天皇4年(415)氏姓制度の混乱を正すため、甘橿の神の前に諸氏を会して盟神探湯を行ったと伝えています。
 現在では毎年4月、境内にある「立石」の前に釜を据え、嘘・偽りを正し、爽やかに暮らしたいという願いを込め、豊浦・雷大字が氏子となって「盟神探湯神事」としてその形を保存・継承しています。
 「立石」と呼ばれる謎の石はこの豊浦のほかに、村内の岡・上尾・立部・小原などにも残っています。

社頭
境内の様子
割拝殿
割拝殿に掛かる額 拝殿と本殿間の境内の様子
拝殿・本殿間の境内に居る明治24年生まれの狛犬
痩せ型ですが筋肉質の良い狛犬です。毛の流れが滑らかで綺麗です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治24年(1891)11月建立)
本殿の建つ上の境内入口に立つ明神鳥居
春日造の本殿
右脇社 左脇社
境内にある飛鳥の謎の石造遺物・立石