山之坊山口神社

橿原市山之坊町304(平成23年1月8日)

東経135度48分49.52秒、北緯34度30分26.02秒に鎮座。

 この神社は近鉄大阪線・耳成駅の西南西約400m、米川北に鎮座しています。道路脇に社号標と鳥居が立ち、参道は南から東へと折れてから境内へ行き着きます。
 境内の入口には鳥居と共に中央に大きなご神木が聳え、明るい境内右奥に拝殿が建立されています。拝殿の後ろには白塀に囲まれた本殿が建立され、拝殿右には境内社が一社祀られています。
 奈良県内には○○山口神社が多く祀られており「延喜式神名帳」にも、大和国には14社の記載があり、いずれも大社だそうです。サイト「神奈備にようこそ」によると、現在も論社を含めて16社確認でき、この社も論社として含まれています。

 御祭神:大山祇命
 祭礼日:10月10日
 境内社:一社
 由緒:境内に案内はありませんが、「延喜式神社の調査」によると、成務天皇5年(135)に神託により創建された。享保年間宮司佐伯丹後守が神霊を奉じて下山、子孫の宅に奉祭して今日に至る。
とあります。
 「神霊を奉じて下山」については「神奈備にようこそ」に
 耳成山の耳成山口神社の氏子が天神山郷を形成していたが、慶安4年(1651)、山之坊村民が神木を伐り荒らした事件を発端に、入会をめぐる争論が続き、宝永2年(1702)耳無山天神ハ式内之社耳無山口神社とする事で決着した。同時に山之坊村民は、山之坊山口神社に分霊し、今日に至っている。また、享保年間(1716〜35)、木原と山之坊で耳成山をめぐって境界争いがあり、木原の所属となったので、山之坊の宮司が神霊を奉じて下山、現在地に祀ったとある。
との説明があります。

神社入り口に立つ鳥居と社号標
入口から南に向かう参道
一端左に曲がり東に向かう参道
境内入口
境内の様子
拝殿
門と玉垣、白塀、中央奥に本殿
春日造りの本殿
境内社 庚申碑
境内入口に聳えるご神木
境内のご神木