馬立伊勢部田中(またていせべたなか)神社

橿原市和田町1400 (令和4年10月14日)

東経135度48分29.52秒、北緯34度28分58.54秒に鎮座。

この神社は、近鉄・橿原神宮前駅の東北東900m程の辺り、和田町の街外れ、すぐ隣は田中町という所に鎮座しております。

御祭神 天児屋根命・豊受姫命・譽田別命

由緒
当社、創立の詳細は分からないが、三代実録に神位の奉授のこととある。「清和天皇貞観9年正月25日大和国正六位上、馬立 伊勢部田中神從五位下」とある。
されど延喜の領幣に漏れたるを見れば、当時社運暫く不振の状況におちいったことが察せられる。
又、位置は現今大字和田にあれども社名は馬立伊勢部田中神社と称している。昔から和田方の所伝によれば、当社もと字古宮の地に鎮座していたが慶長年間飛鳥川洪水の為に流されて現今の地に遷座したとのこと
然るに古宮の地は、古代豊浦小墾田宮の故地にして名称の起りも故地の名に因んだのであろうから、元より当社とは関係はなかったであろう。その地古宮付近に豊浦寺時代の礎石の存せるを当社華表の址なりと言うのも是亦附会したものと言わざるを得ない。社殿の構造は三間社流造りにて、中央は八幡宮、左豊受姫社、右は 春日社を奉祀せり。
後世時代の流れに従って春日社並びに八幡社と配祀し、後、八幡宮が却って本社の地位を占め八幡宮と称するに至った。
徳川中世に至っても尚八幡宮と称し、(石灯籠)明治41年10月2日にも村社八幡神社として指定せられた。
その後国史見在社の古名に復すべく出願し、大正8年11月に前指定を取り消して馬立伊勢部田中神社として指定された。
境内由緒書き より。

神社入口

拝殿

本殿

本殿玉垣前の狛犬。

本殿縁側の狛犬。