生目八幡神社
雲仙市小浜町北本町(平成24年8月19日)
東経130度12分48.96秒、北緯32度43分23.88秒に鎮座。
この神社は杜鵑山(とけんざん)公園という、小浜温泉街の裏山とも云うべき、小浜の町を一望できる小高い山上の公園内に鎮座しています。駐車場奥の一の鳥居を潜り参道を行くと、途中に2と3の鳥居が立っています。参道周囲には奇岩がそそり立ち、まさにここだけが異次元空間に迷い込んだような感じ。このような異空間に恐れを抱き、信仰心が生まれてきたのを頷ける気がしながらの参拝でした。蒼い屋根の末社前を過ぎると境内はすぐ近く、4の鳥居が拝殿すぐ前に建立されています。入母屋造りの拝殿正面には御神像が鎮座する本殿、壁面には「めめめめめめめめめめ」と書かれた祈願・奉納の布が沢山掲げられてありました。
宮崎県・日本一社生目神社が御本社と思われますので、御祭神は品陀和気命・藤原景清公と思われますが、勧請年月・縁起・沿革等については案内がなく不明です。
小浜温泉観光協会作成の小浜温泉のまち歩きガイド - 小浜ドライブ南コース - には『とけん山公園(生目八幡神社)』という項目で
『生目八幡は、通称杜鵑山(とけんざん)<字頭巾山>(あざずきんやま)に社がある。生目八幡は平景清と関係が深いそうである。失明後も活躍した平景清は平安末期(1196年)から鎌倉初期の武将で、源平の屋島の戦いや、壇ノ浦の戦いで奮戦、平家滅亡後、源頼朝に降伏、のち飲食を断って死んだという。その剛勇ぶりは、後世の文学、演劇、謡曲に取り上げられている。
元暦元年(1184年)の一の谷の戦い、つまり鵯越(ひよどりごえ)の逆落としの絵が奉納されているのを見れば、保元元年(1156年)の頃、南高来郡は源為朝の占育するところとなっており、富津の椎山に八郎様の石祠もあった。富津入口に「はちのす様」の祠(ほこら)もある。
保元の乱であるが、後白河天皇と崇徳(すとく)上皇の対立や、藤原忠通と藤原頼長らの勢力争いなどがからみあって起こった内乱で、源義朝と平清盛を擁した後白河天皇と藤原忠通が、源為義と平忠正を擁した崇徳上皇と藤原頼長を破ったのであるが、源氏や平氏など武士が中央政界に進出するきっかけとなったのが保元の乱である。
富津と木津には、屋敷跡と思われる丹波構えと呼ぶ石垣があるが、戦いに敗れた平家の隠れ家という。』と紹介されています。
「杜鵑山(とけんざん)公園」内からの参道入口 |
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一の台輪鳥居 |
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鳥居に掛かる額 |
社号標 |
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参道途中に立つ2と3の鳥居 |
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参道の様子 |
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参道左右は岩だらけ。この奇観が人々に異空間感覚を持たせ、神聖な地として崇められてきたのでしょうか? |
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拝殿前に立つ4の台輪鳥居 |
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入母屋造りの拝殿 |
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拝殿内の様子 |
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本殿鞘堂と本殿正面・御神像 |
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拝殿内の壁面には「めめめめめめめめめめ」と書かれた祈願・奉納の布が沢山 |
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末社 |
平和祈念傷痍之碑 |
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境内からは小浜の町と橘湾が一望できます。 |
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「『小浜温泉観光協会』小浜温泉のまち歩きガイド - 小浜ドライブ南コース -」より抜粋

