乙事諏訪神社

諏訪郡富士見町乙事 (平成17年5月1日)

東経138度16分10.35秒、北緯35度54分40.44秒に鎮座。

この神社は、諏訪湖の南東20km程の富士見町に鎮座しております。乙事は「おっこと」と読むようです。

嘉永6年(1853)に諏訪神社上社の旧社殿を移築したもので、元和3年(1617)の建造物という。桃山様式のすぐれた建築にて、本殿をもたない諏訪神社造りともいうべき独特の造り。従来国宝に指定されていたが、昭和23年に火災にあったため取り消されています。昭和25年に復元修理され、現在は国の重要文化財となっています。「由緒書より」。

神社入り口と社号標

拝殿

本殿は無いと由緒書にあるが左右を覆われた本殿と思しき建物が有ります。入れないので、隙間よりかろうじて撮った写真です。素晴らしい彫刻が見えますが。

この疑問は次の諏訪神社下社跡を見て勝手に納得しました。事実をご存知の方宜しければメールを下さい。

松本にお住まいの島野さんより以下のような、嬉しいメールを戴きました。

諏訪大社(上社,下社)自体も,本殿がありません.本殿のように見えるのは拝殿で,上社の場合,ご神体は守屋(もりや)山,下社の場合,秋宮は霧ヶ峰方面にむいていて御射山社がその役割を果たしているように思われます.これは,諏訪大社が,諏訪大社として機能する以前から「ミシャグチ神」を祭った,古代の信仰の名残と考えられます.

現在は,そうはいっても大きな鏡が祭壇にあり,古代からの信仰を,神社本庁の全国的なやり方に置き換えられつつあるように感じています.御祭神として建御名方命・八坂刀売命・八重事代主神を祭っていて,山がご神体,とは公には書いてありません.長く神官をしてこられた諏訪氏や守矢氏は明治以降,関わっておりませんので,国家神道以降の形式が浸透してきていると考えることができます.

で,こうしたことを頭に入れてあると(この神社は,地元諏訪にあるので,由緒書きも背景の分かっている地元の人向け),「拝殿はあるけれども,本殿がない,これは諏訪大社の形式と同じである」という部分が理解できます.

乙事諏訪神社の例の建物ですが,ぺらっとしていて,囲まれた空間がありませんね.一般には囲まれた本殿内の空間に神気が宿る,といわれていますので,やはりあれは拝殿と見るべきなのだと思います.裏からの写真では,何か中央が扉になっていて,開きそうにも見えます.そうであれば,なおさら拝殿として,理にかなった構造に思えます.

「本殿を有しない」の主語は現在の乙事諏訪神社では無く、諏訪大社の形式に則った過去のこの社の在り方だったのです。早とちりの勝手解釈でありました。メール有難う御座いました。