郊戸(ごうど)八幡宮

飯田市今宮町4 (平成23年4月30日)

東経137度49分12.83秒、北緯35度31分22.38秒に鎮座。

この神社は、JR飯田駅の北800m程の辺り、風越山麓の裾野に鎮座しております。神社の前は今宮野球場。後ろは子どもの森公園になっており、大変緑の豊かな、景色の良い神社です。

かつて境内は城山丘陵の南西、面積約五千坪の広さを占めており、前面の平地は「天王原」といわれ、千坪近い公園地になっていて、神苑地は老樹多く風趣に富み、殊更に社殿の背後にある城山丘の上からの眺望は雄大にして絶景であったと先達は記しています。
参拝の栞より

郊戸八幡宮由緒
御祭神 誉田別尊・息長帯比賣命・武内宿禰命
當八幡宮の創立は不詳なれども貞観年中山城国鳩嶺鎮座の後此の地に勧請すと傳ふ。久安三年郊戸庄五郷の總鎮守として時の領主の崇敬厚く社領百三十五石を寄進せらる。建久八年鎌倉幕府より社殿建立に寄進あり。武門武将崇敬、一般民衆の信仰極めて深く、優れた鎮座の位置、傳承の古さから希なる名社にして往古より霊験極めて顕著にして歴代の諸侯は藩費を以って社殿の造営維持経営をなし、祭禮には領主幣帛を奉り国家の安泰武運の長久、庶民の安寧と福祉を祈願せられた。社号につきては旧称郊戸八幡宮たりしが天保十二年郊戸神社と改称す。
明治五年郷社に列せられ、
昭和十九年県社に列せらる。
昭和五十八年八月歴史的由緒に鑑みて社名を郊戸八幡宮と改称す。
境内由緒書より。

郊戸神社碑
郊戸神社はもと今宮八幡宮と稱した。譽田別尊を主神とし息長足姫命・武内宿禰を配祀する。清和天皇貞観年中、或は近衛天皇久安三年の創建とも傳へ、古来武将の崇敬篤く衆庶の信仰また深かった。中世の領主坂西氏は守護神として奉斎し、後飯田城主毛利・京極両氏は神領を寄進し、小笠原・脇坂両氏また社殿を修造し、最後の領主堀氏は年頭春秋の例祭に親ら、または代参を立てて初穂を献し國土安泰萬民福祉を祈願し、社殿を再造。鳥居石垣を建設し、次第に昌盛に趣いた。幕藩政治終り復古維新となる明治五年郷社に列し、二十一年改築したのか、現在の社殿で域内の整備も行はれ、昭和十九年一月縣社に昇格したが、太平洋戦争後社格撤廃。宗教法人となり専ら氏子崇敬者の經營となる。本神社は風越山麓城山丘陵の南腹に鎮座し、老松古杉簇生し清楚森厳の間宏壮の社殿竝び建ち神苑また廣闊。加ふるに山頂の展望頗る雄大、近くは飯田市街の粉壁を、遠くは赤石の峻嶺を双眸に収め行楽の地、憩の場所として好適である。されば郡内外の参詣者常に絶えず、殊に秋祭の花火は有名で其日神苑内は立錐の餘地なく殷賑を極める。神域内に六十有餘の末社を有する如きは近郷に比なく、而も工人の信仰篤き聖徳太子碑、鍛冶石工の奉祀する金山神、染物師の祭る愛染神社等は民衆文化との交流が如何に著しいかを實證する。水戸義士甲子記念碑其他郷土の昔を物語る遺物も少ない。蓋し古くは歴代領主の外護あり、又神職並に氏子衆庶の精誠奉仕あり、以て今日に至る。尚ほ益社運の興隆を祈念して止まぬと云爾。
昭和三十七年九月

由緒書や碑文等はこちら。

天保十二年郊戸神社と改称したと由緒書にありますが、天保年間には相次いで異国船の来航があったり、天保騒動・大塩平八郎の乱・蛮社の獄等太平の世が大きく崩れ始めた頃です。神社の前が「天王原」といわれたとあるので、この頃牛頭天王が祀られたのでしょうか、勝手な想像をすれば、明治政府から嫌われた牛頭天王は御祭神から外され、昭和の世になり目出度く「郊戸八幡宮」となったのかも知れません。

参道入口と社号標。左手は今宮野球場。

一の鳥居。額の文字は「郊戸神社」。

野球場を迂回するように進むとすぐに神門が見えて来ます。

随神門。安永九年(1780)建立。随神は豊磐間戸神、奇磐間戸神。俗に右大臣、左大臣とも云い、門を守護する神。

参道最後の石段と狛犬

整った江戸流れですが、東京青山の石勝に似ているような。拡大写真はこちら。
(東京 赤阪区 石工 辻繁太郎 大正2年(1913)5月吉日建立)

境内入口。左右に狛犬が僅かに見えます。

しなやかな姿態とユニークな顔立ちの素晴らしい狛犬です。拡大写真はこちら。
(文化15年(1818)建立)

拝殿

本殿


大國主神社。鳥居は文化十年(1810)飯田城主十代親寶が郊戸神社へ奉納したもの。

神池に浮かぶ厳島神社?後ろは郊戸八幡宮の宮守、渡邉家が代々経営する松映庵今宮半平
我々も参拝後、蕎麦、五平餅、おたぐり等々をいただきましたが、どれも大変結構なお味でした。

菓祖田道間守命・正一位秋葉大神・金毘羅大権現・(金山彦命・天布刀玉命・石凝姥命)等々

末社

聖徳皇太子碑

天満宮

不明

春日大明神碑と不明末社

不明

徳王稲荷社

鹿嶋神宮

生物供養之碑

秋葉神社・八坂神社・西宮神社

歌碑や石碑。「朝美登利 す三渡りたる大空乃 ひろきをおの可古々ろとも加那」明治天皇御製。