五柱(ごちゅう)神社

仙台市若林区藤塚(平成19年7月25日)

 この神社は名取川河口左岸に鎮座しています。入口の土堤を上がるとそこはもう井土浦で、その向こうは太平洋の大海原です。土堤から数段の石段を下がると社殿の背後に大きなご神木が一本聳えるだけの明るく開けた神社でした。昭和20年代まで、境内には樹齢400年をこえる松の古木が茂り、昼でも暗いほどだったそうですが、30年代に入ると製材用に少しずつ伐採され、今日のような姿になったということです。境内にはいるとすぐ右側には覆われた山神碑と末社、正面にはお昼寝をするのに気持ちの良さそうな長床(割拝殿)が建ち、更に右端には社史、湯殿山、庚申塔などの碑が沢山並んでいました。本殿は比較的近年に改築されたように見え、とても綺麗でした。境内の全てがきちんと整備された手入れの行き届いた感じがする神社でした。狛犬も壊れてもきちんと補修され、大事にしてくださっているようです。

 昔は五社明神と呼ばれた海に面した神社で、安永元年(1772)の封内風土記によると、康平3年(1060) 源頼義・義家父子が東征の際、常陸の国村松(茨城県東海村)に勧請した神社とされています。永享7年(1435)足利持氏(関東公方)が常陸国を攻略の際兵火に罹かり、新たに藤塚の地に遷座したとされています。
 宮城県史によると伊達政宗公が遊猟の際ここに立寄り、「筏に乗った五社(五柱ごちゅう)の神がこの浜に漂着した」との由来を聞いて社殿を改築し、その後藩主の忠宗・重村公によって造営されたことが棟札に記されているそうです。
 明治41年明治政府の神社合祀令により、井土浜の八坂神社、種次の稲荷神社を合祀して、天照皇大神・春日神社・賀茂神社の五社をお祀りしています。
 また、今は切り株だけになっていますが、かって境内にはご神体を乗せてきた藤蔓を埋めたところ根をつけたという藤の木があり、すべてが左巻きの蔓をくぐると疫病封じになるといわれていました。このフジが藤塚の地名の起こりといいます。(サイト「六郷を探る会」参照)

神社入口
長床(割拝殿) 山神碑と末社
境内右側に並ぶ社史、湯殿山、庚申塔などの碑
拝殿
拝殿前明治9年生まれの狛犬
縦置きで阿吽が反対位置、双方角付きなどの仙台狛犬特有の特徴は残っているものの、内側片前脚を引くという造り方ではなくなっています。比較的扁平なブーちゃん顔で殆ど首が無く、太めの身体、とっても可愛い愛嬌者です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治9年(1876)3月19日建立)
流造りの立派な本殿
本殿の木鼻・狛犬
本殿の後ろにいる宝暦10年(1760)生まれの狛犬
やはり阿吽の位置が反対ですが両前脚は揃っています。吽にだけ瘤のような小さな角が付いています。宝暦の狛犬の特徴である猿顔で、パンチパーマは磨耗して渦は不鮮明になっています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(宝暦10年(1760)建立)