船井神社

南丹市八木町船枝才ノ上51 (平成31年4月5日)

東経135度31分30.62秒、北緯35度06分05.65秒に鎮座。

この神社は、JR山陰本線・吉富駅の北東2.5km程の辺り、八木町船枝の街外れに鎮座しております。

御祭神 住吉神(底筒之男・中筒之男・表筒之男) 春日神(武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比売神)

由緒
創建は「神功皇后の三韓征伐の時、住吉明神に守護を祈られたところ、住吉明神が現われて御船を守護し、海路つつがなく航海出来た上、三韓征伐も成功したので、凱旋後、神功皇后はこの地に住吉明神(舩井神社)を祀った」(『和妙抄』)とある。
ここより北西500mの地、大堰川近くに「オコノモリ」と称える塚がある。「瀛居の社」「太古の森」とも書く。ここは曾て大樹が繁り、舩井神社前身の住吉神社が鎮座していたと伝えられている。
舩井神社の名称は、大堰川を下る船の停泊地「船居」に由来する。大堰川の清流近く舟運の守り神として祀られるとともに、船技村、清谷村、室橋村、美津村、畑中村、諸木村、野条村の産土神でもあった。
大堰川の氾濫により、文武天皇の御宇、慶雲2年(705)に此の地へ遷宮と伝える。
その後、崇徳天皇の御宇、保安元年(1120)丹波国司三条宰相藤原家保卿、南都より春日四座の神を勧請してこの社に合祀される。
現本殿は天保6年(1835)に再建されたものである。平成17年(2005)遷座1300年祭を斎行する。
境内の大杉や大榧、大公孫樹に悠久の時の流れを、立派な本殿や拝殿に奉納されている左甚五郎作の金網に覆われた絵馬をはじめ多くの絵馬等に古来新庄の郷の産土神として敬神崇祖のあつい思いの歴史を感じさせられる。
境内由緒書き より。

とは、沢/うみ/大海などの意味をもつ漢字。19画の画数をもち、水部に分類される。日本では不確定レベルの漢字とされる。(モジナビより)
「瀛居」読みは「えいきょ」多分。

神社入口

拝殿

本殿


伊邪那岐命・伊邪那美命 稲荷社
天満社 帝釈天遥拝所

伊勢神宮遥拝所