和貴宮神社

宮津市宮本428(平成22年7月28日)

東経135度11分48.67秒、北緯35度31分55.81秒に鎮座。

 この神社は宮津市の中心街に鎮座しています。入り口に立つ表門は向唐門で、神門としては珍しい造りです。境内をまっすぐに貫く参道中央辺りに明神鳥居が立ち、正面に正面に入母屋造りの落ち着いた拝殿が建立されています。その拝殿は、享保3年建立の年代が分かる狛犬としては府最古の狛犬が護っています。拝殿には「江之島和貴宮大神」の額が掛かり、本殿階段下には装飾的な木製神殿狛犬がいます。その後ろに弊殿と本殿が建立されていますが、流造りの大きな本殿は周囲を板で囲われ全容は見られません。
 社殿右には大きな磐座、左右に境内社などがあります。
 それほど広い社地の神社ではありませんが、整然と綺麗に整えられた清々しい感じの神社でした。

 御祭神:天照大神、配祀:伊邪那美命、豊受毘賣神、伊邪那岐命、天水分神、天御中主神、海津見命、猿田彦神、国常立尊、阿賀姫神
 祭礼日:5月13日〜15日
 境内社:恵美須神社、稲荷神社、兵主神社、弥智俣宮、勲宮、秋葉社、永代宮
 由緒:創祀年代は神代より。
 宮津の地名は、当神社に祭神を海辺に祀り、宮の津を称せしにはじまる。現境内は、宮の津即ち宮祭る港の址なり、 海中の巌を今日も残す。此巌は神の依代で、万代の巌又は「波越巌」と呼ぶ。海神、此巌より釣りを垂れ給いしゆえ、鯛釣巌との伝説もある。
 社殿は室町時代以前、既に創設せられ天御中主神、豊受神、海津見神、猿田彦神、我野姫を斉くに創り吾野の宮と称し、 式内の名社なり。
 文明2年4月21日、時の守護職一色氏が丹後国一宮の祭神を合祀し、その別宮を成す。 丹仁波古記や吉田神名帳並に裁許状に載る一宮別宮大明神、丹後国一宮別宮総社、子守神別宮大神宮 又、 江の島の宮とは当社のことである。
 中古に至り、分宮と称せしも後、和貴宮と改る。たたえて天地懸橋の宮と呼ぶ。 古来、旧宮津地区東部の産土神で祭神は五穀豊穣産業発展並に豊漁、航海安全の神であると共に和合円満、 方位八方の守護神として近郊より信仰者も激増、旧来神前結婚の挙式が多い。
 神代のその昔々、和貴宮神社は社の直ぐ右手に鎮座する波越岩あたりまでが海辺であった。 この磐境は神の依代として崇められ、祭神は天照大神、猿田彦神、事代主神(恵比須大神)、 弁財天等 その効あってか、特に美人の参拝が多かったとか、終日鈴の音が鳴り止まなかった由。
 その敬神範囲は広く、越前、越中、越後から近江、大阪、境、和歌山、播州、備中、備後等西日本全体にまで及んでいた。 今も神社の玉垣にその証がしっかり残っている。
(「平成祭データ」より)

神社入り口と表門
表門は一間一戸の向唐門で、屋根は桧皮葺。神門の向唐門は珍しいですね。
社号標 境内参道途中に立つ明神鳥居
拝殿前、享保3年建立の狛犬
年代の明記された狛犬としては京都府最古の狛犬です。阿吽の位置が反対で、素朴な中にも威厳と落ち着きが感じられ、この社を護るに相応しい狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(享保3年(1718)戊戌建立)
拝殿
拝殿内の様子 拝殿に掛かる額
「江之島和貴宮大神」
本殿階段下に置かれた木製神殿狛犬
やや木目が見える部分もありますが、全身が白い彩色で覆われ、装飾的な鬣や尾の線が浮き出て、とても芸術的な狛犬です。阿吽の位置が反対で、目は象眼でできています。
狛犬の拡大写真はこちらで
弊殿と本殿
神馬舎 合社
左から勲宮、秋葉社、永代宮
境内社入口
境内社:弥智俣宮(道俣神) 境内社:恵美須社
手水舎 御輿庫
水越岩
その昔、このあたりは海岸であったといい、 この磐座は神の依代として崇められていたそうです。和貴宮の名の起こりは、「海辺の脇にある宮」と伝わる様に、この社の原点とも伝えられる岩です。
ご神木