この辺りはその昔小野領ででもあったのでしょうか。小野氏の出自の有名人は幾多居ますが、ここに祀られている毛人の名は、勉強不足で知りませんでした。
この神社は、今ではこの奥に鎮座している、種継事件に連座して非業の死を遂げ怨霊となって天皇家などを祟り続けた早良親王=崇道天皇の鎮魂のため創建された、崇道神社の境内社ということに為っていますが、元々この地は小野神社の旧地ともいわれ,本殿後方の山中に小野妹子の子・毛人(えみし)の墓(市指定史跡)があり,慶長18年(1613)石棺中から銅板墓誌(国宝)が発見されています。その表には小野毛人が天武朝に仕え、納言の職にあって後の刑部卿で正四位に相当する地位にあったことを記してありました。毛人についてはそれ以上の詳しい事は分かっていないもようです。
左京区上高野西明寺山(平成15年1月4日)
小野神社
小野毛人神社