櫟谷宗像(いちいたにむなかた)神社

西京区嵐山中尾下町(平成19年1月2日)

 この神社は嵐山・桂川の南岸、渡月橋のすぐ傍に鎮座しています。嵐山・桂川の辺りは人でごった返していましたが、この神社の辺りは静かで、境内からは桂川が一望でき、落ち着いた如何にも京都の風情を感じさせる雰囲気が漂っています。

(案内板より)
 御祭神:ご祭神 奥津島姫命、市杵島姫命
 例祭日:1月3日
 由緒:(栞より)
 「小さな社とはいえ、境内に佇めば山紫水明・風光明媚とはここをおいて他にないといえるほどの絶景の地です。昔はそれぞれに独立した社殿をもち、櫟谷神社は『延喜式』神名帳に『松尾末社』と注を付されて載る由緒ある式内社であり、宗像神社は『三大実録』に記載される国史現在社です。もともと櫟谷とは、江戸初期頃までの地名であったといい、すぐ西側の小川の流れる急傾斜の谷に由来するといわれています。珍しい『鏡石』というものがあったのも、この谷であると伝え、 鎌倉時代に崩落して今は跡形もありませんが、神社にとって格別神聖なものであったようです。市杵島姫命は、七福神の弁財天(弁天さん)と習合したことから、『福徳財宝』『技芸上達』『知恵』の神として信仰されています。古代においては葛野の鋳銭所(造幣局)に近く、宗像神社には新貨幣鋳銭の度に奉納されていた関係上、『財運向上』の神として知られています。ご祭神が雅で美しい『姫神』であるため、特に近年では、男女ともに良縁成就のご神徳にあやかろうと圧倒的な人気を誇っています。『恋愛成就と良縁』を祈願する人々、『受験』を控えた学生、『財運』を願う起業家、『芸事』に精進する若人などの参拝が多く、紅葉の頃には狭い境内にも関わらず社頭の鈴の音の止むことのないほど賑わいます。
 両姫神は海神(水神)でもあり、古来、『治水』『水上安全』の神としても崇められてきました。奥津島姫命と市杵島姫命の二神は、日本書紀の一書によると異名同じ神とも言えます。字音では、櫟谷・宗像の両神社と、渡月橋を挟んだ対岸の大井神社を合わせて宗像三女神がすべて揃うと伝えられ、両橋詰め附近に鎮座する橋の守り神となっています。丹波に流れ込む川はたくさんありますが、丹波盆地のすべての水を排出させるのは、大堰川(桂川)だけです。そのために、洪水等の被害も多く、治水と水運安全のために神社の真横に古代の秦氏が堰を築きました。ご祭神が堰の守り、水の守りとして意識されていた故でしょう。すぐ南にある法輪寺も、『法』が『水(さんずい)を去る』と書くことから、やはり治水の意味をこめて葛井寺より名を変えたと言われています。 (平安時代に法輪寺と名を変えて)初代住職となった高僧・道昌も、江戸時代初頭に大堰川を改修して名を馳せた角倉了以も秦氏の出身。櫟谷宗像神社の二柱の女神は、その両社を代々奉仕してきた秦氏とその一族とともに、清冽な『川』、偉大な『堰』、優美な橋に深く関わってきたのです。古来より嵐山の雅を愛で、渡月橋に憩う人々が、小さい社ながら必ず詣でたといわれるのもご理解いただけるかと存じます。」とあります。
 又、現在の御祭神は櫟谷神社(奥津島姫命)、宗像神社(市杵島姫命)ですが、明治期までは現在と反対の御祭神だったそうです。     

神社入口 境内入口
弊拝殿 本殿
本殿正面 「玉造竜神」碑
神社前を流れる桂川
嵐山観光の遊覧船が出航していきました。