中京区寺町通丸太町下ル(平成15年1月4日)
社伝によれば、大同二年(809)不運のうちに亡くなった伊予親王(桓武天皇の皇子)とその母の藤原吉子の霊をなだめるために、承和六年(839)に創建されたといわれている。祭神は、後に、崇道天皇(早良親王)、吉備真備、藤原広嗣、橘逸勢、文屋宮田麿、火雷天神を加えて八所御霊としている。
当初、出雲路(上京区)にあり、御霊神社の南にあったことから下御霊神社と呼ばれるようになったといわれ、以後、社地を転々とし、天正十八年(1590)豊臣秀吉の都市整備により当地に移転してきた。古来より、京都御所の産土神として崇敬され、享保年間(1716-36)霊元天皇は当社に行幸し、宸筆の祈願文を納めている。
本殿は、寛政三年(1791)仮皇居の内侍所を移建したもので、表門は、旧建礼門を移したものといわれている。
境内の垂加社には、江戸時代の国学者、山崎闇斎を祀る。
以上 京都市の案内板より
早朝参拝した為、怨みを飲んで亡くなった方の霊をお慰めするというよりも、清々しさの方が勝り、神社の参拝にも時間が大切という事を実感しました。
神楽殿
社殿
綺麗に彩色の残った神殿狛犬
厳つい顔で筋肉質、尻尾の巻きが面白い京尾付狛犬
京垂れ耳尾付狛犬。大口開いて笑う阿を、冷静に見つめる吽
何故かこの神社にはネコちゃんが
沢山居ました。
(嘉永7年(1854)建立)