京都市上京区堀松町408 (平成24年9月28日)
東経135度45分42.70秒、北緯35度00分59.15秒に鎮座。
この神社は、京都御苑のすぐ西側に鎮座しております。
御祭神 菅原道眞公・菅原是善卿・菅原C公卿
由緒
当、菅原院天満宮神社は、從四位、下治部卿菅原古人朝臣。次は從三位、C公卿。次は参議是善卿の三世、子々相傳へて棲み給ひし邸宅の址にて、やがて是善卿の御子道眞公の誕生し給ひし靈地なり。
古人朝臣は桓武天皇に仕へて侍讀となり、C公卿は嵯峨、淳和、仁明の三帝に歴仕し是善卿は文徳、C和の二帝に奉仕して倶に侍讀の榮職におはせしかば此邸宅をも受継ぎ住み給ひしより世に菅原院と呼びたりとぞ。・・・・・
境内由緒書き より。
由来と歴史
当菅原院天満宮神社は「学問の神様」として知られる菅原道真公がお生まれになった霊地であり、道真公だけではなく、曾祖父・古人朝臣、祖父・清公卿、父・是善卿がご住居とされておりました地であります。古人朝臣は桓武帝に、清公卿は嵯峨、淳和、仁明の三帝に、是善卿は文徳、清和の両帝に奉仕し、栄職にあったので、この邸宅も受け継ぎ住まわれ、世に菅原院と呼ばれたのであります。拾芥抄によれば菅原院は勘解由小路(現在の下立売通)烏丸の西一町菅贈太政大臣の御所、或は参議是善卿の住居といわれた。当時歓喜光寺と号し、北野祭の日神氏此所に来りて批杷を神に奉奏され、また古図には烏丸、室町通、下立売通、椹木町通に囲まれた邸地を菅原院と記載され、住古は境域の広大であったことがわかる。又袋草子国宝北野縁起(藤原信実朝臣筆)菅氏録によれば、菅原院は是善卿の旧邸地にして菅公は此の処に於いて御誕生あらせられ爾来菅公このところを邸地とし給ひ、ついで菅家のために、此地に歓喜光寺を創建されましたが後故ありて六條道場に移転。残された殿舎に道真公御誕生の地である事を持って一社を設け、学祖人として菅原道真公を本座とし御父是善卿と御祖父清公卿を奉祀して古より断ゆること無く今に至り実に是れ菅公御発祥の霊地にして聖蹟廿五拝の第一にして今も尚産湯の井及び天満宮御遺愛の石燈籠一基が残っております。
菅原院天満宮神社公式サイト より。
神社入口
神額
境内
参道左右の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
手水
拝殿
拝殿前の狛犬。拡大写真はこちら。
(年代不明)
本殿
梅丸大明神
梅丸大明神内の神殿狛犬
戸隠大神 | 天道大日如来 |
菅公産湯の井戸