上弓削神社

熊本市東区弓削町258(平成24年4月8日)

東経130度47分26.36秒、北緯32度50分43.73秒に鎮座。

 この神社は白川左岸近くに鎮座しており、白川対岸の北区龍田町弓削にはこの社と対になったように「弓削神宮」が鎮座しています。云い伝えでは白川をはさんだ一対の弓削神社(龍田町弓削の弓削神 宮・女神と、弓削町の上弓削神社(弓削法皇社)・男神)では、男神が対岸の女神のもとに通う為川の中の飛び石を渡り、毎夜の逢瀬を楽しんでいたといわれて いるそうです。
 入口は235号線沿いにあり、社地そのものも道路に沿って細長く造られています。「法皇社」と記された額を掲げる台輪鳥居を潜ると、北西に向かって参道が作られ、境内入口には狛犬。境内には左に手水舎、右に巨大な石造“ごもっとも様”が配され、中央奥に入母屋造りの拝殿、板塀内に彫刻が施された本殿が建立されています。
 「ウィキペディア」に「白川の対岸、龍田町弓削の弓削神社が女神であるのに対し弓削道鏡を祀るとの説もあった。」と記されていますが、境内の案内を読む限りは弓削の道鏡に対して余り良い書き方をしていないのが気になりました。

 御祭神:孝謙天皇
 祭礼日:10月15日
 由緒:第四十六代の孝謙天皇(女帝)は四十五代聖武天皇の第二皇女。母は光明皇后。七四九年聖武天皇のあとをうけて即位。七五八年淳仁天皇に譲位。その後、孝謙上皇(出家し譲位した天皇に対する尊稱)が病気全快に功があった弓削の道鏡は上皇の寵愛を受けて政界に進出。その頃実権を握っていた藤原仲麻呂これを喜ばず淳仁天皇を擁して反乱を起こしたが失敗した。七六四年、孝謙天皇が再度即位して稱徳天皇となると、道鏡は益々勢力を得、太政大臣となり翌年法王となる。宇佐八幡宮の神託といつわり奸計をめぐらしたが、和気清麻呂により陰謀は失敗し、稱徳天皇崩ずるや下野田(茨木)に左遷され、この地で一生を終えた。
(境内案内より)

 旧村社。別名・弓削法皇社とも呼ばれる。
 対岸の弓削神社とともに弓削神社と総称される場合もある。
 孝謙天皇(女帝、女神)を祀るが、白川の対岸、龍田町弓削の弓削神社が女神であるのに対し弓削道鏡を祀るとの説もあった。また、夜毎に男神が飛び石を伝って対岸の女神(弓削神社)の許へ通い逢瀬を楽しんでいたとも伝える。
 農作物の豊穣や、夫婦円満、子授けの信仰を集める。
 近世には法皇宮や法皇社と称された。時期不明ながら、若杉某という者が神体を守護して勧請したのに創まるという。
 近世の祭日は9月25日、現在は10月15日。
 古く毎年正月15日(小正月)に15歳未満の村の童子が境内の杉の枝を歳の数だけ手に挟む風習があり、また神社近くの河畔に袖振石と手掛石という神石があり、村の娘が嫁ぐ夜になるとこの両石が大層湿ったという。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

社頭
参道入口に立つ台輪鳥居 鳥居に掛かる額「法皇社」
参道の様子
境内入口
境内入口にいる昭和11年生まれの狛犬
阿は口中に玉を含み、瞳がある眼がやや飛び出し気味です。大きな牙を生やした威厳と纏まりのある狛犬さんです。
狛犬の拡大写真はこちらで
(石工・江副廣次 昭和11年(1936)3月吉日建立)
境内の様子
入母屋造りの拝殿
拝殿内の様子
板塀と彫刻が施された本殿
本殿木鼻・狛犬と象
本殿長押上彫刻・龍

境内と拝殿前に置かれている“ごもっとも様”