阿蘇山上神社
阿蘇市黒川808-3(平成24年3月29日)
東経131度04分41.03秒、北緯32度52分36.57秒に鎮座。
この神社は阿蘇山ロープウェー駅のすぐ北東に鎮座しています。ロープウェー駅から見ると阿蘇山本堂・西巖殿寺奥ノ院が神社のように見えましたが、実際はその奥、コンクリート造りの神門が建っているのが阿蘇山上神社でした。神社は昭和33年の大爆発により被害を受けたため、同年に再建され、神霊池である噴火口に向かって遥拝するかたちで建てられています。その為社殿は拝殿と弊殿のみ建立されています。
御祭神:健磐龍命、阿蘇都媛命、彦御子神
祭礼日:毎年6月初旬・火口鎮祭
由緒:当神社は阿蘇神社(熊本県阿蘇郡一の宮町宮地)の奥宮である。
噴火口は古来より神霊池として崇められ、左記の如く、阿蘇神社三柱(一の宮・二の宮・五の宮)の神として祀られている。
北の御池(噴火口)一の宮 建磐龍命
中の御池(噴火口)二の宮 阿蘇都媛命
南の御池(噴火口)五の宮 彦御子命
社記には、「欽明天皇十四年三月(552)阿蘇山火起りて天に接す。阿蘇宮の中三社を祀り、社家の内笠忠久をして奉仕せしむ。これを天宮祝と云う。」とある。
平安時代初期より神霊池に異変ある度に、九州鎮守府太宰府から京都の朝廷に奉進があり、各社寺に国家安泰の御祈祷が命じられたことが国史に記載されている。
当神社へは特使が派遣され奉幣祈願が行われていた。
現在の社殿は昭和三十三年の大爆発により被害を受けたため、同年に再建されたものである。神霊池である噴火口に向かって遥拝するかたちで建てられている。
伝説(左京ケ橋 蛇腹)
噴火口(神霊池)への登山者は心身を清浄にして登拝するを例としていた。
当山上神社裏手より噴火口に至る徒歩道は往時唯一の火口への路であり、必ずこの橋を渡らなければならなかった。
昔、左京某と云う侍がこの橋を渡ろうとしたところ、子蛇が橋のたもとにいたので、武士の行く手を遮り、不届きな奴とばかりに、血気にはやり刀を抜いて斬り捨てようとした。すると忽ち雲が涌き風起り、一匹の龍となって天に昇った。
さすがの左京もこの一大異変に恐れをなし、それが原因で早死したらしい。
以来この橋を左京ケ橋と称するようになったという。
心悪しき人が渡ると前面の岩が大蛇に見え、渡ることができないという。事実岩の形態は蛇腹というにふさわしい。また、未婚の男女がこれを渡り潔身の証にしたともいう。

社頭 |
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神社入口 |
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神門 |
社号標 |
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境内の様子 |
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拝殿 |
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弊殿 |
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拝殿内の様子 |
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社務所 |
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神社近くから見る阿蘇中岳 |
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阿蘇山ロープウェー火口西駅付近から見る中岳 |
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迫力の阿蘇中岳第一火口 |
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第一火口と阿蘇中岳 |
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