興津八幡宮

高岡郡四万十町興津1604(平成23年3月29日)

東経133度12分41.72秒、北緯33度9分51.04秒に鎮座。

 この神社は仁井田駅の南東約10km、興津地区の東方に鎮座する旧郷社です。
 神社前を後川が流れ、神橋を渡ると石垣と玉垣の向こうに清々しく豊かな森が見えます。入口には鳥居が立ち狛犬がいます。灯籠が立ち並ぶ参道を抜けると、明るく広々とした境内で、最奥に千鳥破風付き入母屋造りの拝殿と社務所が建っています。その後ろに幣殿・本殿が建立されています。
 窪川から興津トンネルを通りここまで来るのは結構大変でしたが、伸びやかな印象の綺麗な神社で、ここまで脚を伸ばして良かったと思いました。

 御祭神:応神天皇、功神天皇等
 祭礼日:10月15日
 由緒:社伝によれば元慶2年(878)勧請と云われています。
 「興津」という地名が歴史上最初に現れるのは、応永18年(1411)で室町幕府第四代将軍 足利義持の時代です。
 その後、文明7年(1475)、土佐藩多荘を所領としていた一条教房が京都での応仁の乱をさけるため、土佐の藩多庄に下向する途中、風波により航走できず、船を小室の浜の岩陰に寄せて上陸し、この地を気に入り、京と同じ地名をつけ京の町を模して碁盤の目状に整備したりもしました。
 後に教房は旧郷社(興津八幡宮)に鏡30面、刀2振、社領1町8反などを寄進し、大祭のおりには中村から的馬3頭、神役150人が遣わされたと伝わります。

 この社の大祭は毎年10月15日に行われる神事で、400年以上の歴史があり、高知県の無形文化財に指定されています。
 流鞍馬や花取踊のほか、宮舟と神輿の激突では、漁師が担ぐ宮舟が神輿を突くと豊漁、農民が担ぐ神輿を宮舟のうえに乗せれば豊作と伝えられている勇壮な祭りです。
いずれの行事も戦国時代の頃の奥津を支配していた幡多中村一条氏とゆかりの深い行事で、祭神を慰め、祭神に感謝し、氏子の無病息災五穀豊穣商売繁盛漁獲豊漁を祈願しています。
(サイト「興津の祭り」より)

神社前を流れる後川に架かる神橋
社頭
神社入り口
入口に立つ台輪鳥居 鳥居に掛かる額
鳥居脇にいる建立年代不明の狛犬
堂々とした浪速型の狛犬ですが、剥落が始まっています。
狛犬の拡大写真はこちらで
参道の様子
境内の様子
千鳥破風付き入母屋造りの拝殿
拝殿目貫彫刻
拝殿木鼻・龍
長押上彫刻
幣拝殿
流造の本殿
目抜彫刻
木鼻・龍
妻彫刻
社務所 不明の建物
鎮守の杜
境内に咲く桜二種