兒安花神社

高岡郡四万十町仕出原(平成23年3月29日)

東経133度7分37.77秒、北緯33度13分3.65秒に鎮座。

 この神社は高岡神社の境内社で、高岡神社・中ノ宮の東に隣接して鎮座しています。

 御祭神:木花開耶姫命
 祭礼日:不明
 由緒:「五社のお庭の子安の桜、折って一枝欲しゅうござる」
 この唄は、高南の大地四万十町(旧窪川町)で遠い昔から唄い伝えられておりました。この唄は子安神社の桜が美しいから、一枝欲しいと言うだけの意味でなく、安産で子供が健やかに育つ護り神として、霊験あらたかであり、婦女子の尊崇敬慕の心根を表現した唄でございます。
 昔、高岡神社(五社様)の境内に小さな お社が有り、土佐には珍しいしだれ桜がありました。これが子安の宮と唄われた子安神社です。このしだれ桜は、豊臣秀吉が大仏殿の修復のため全国津々浦々に大木の献木を銘じ、土佐の長宗我部元親も命を受けて大木の伐採を行い、当社(高岡神社)でも最大といわれる高さ六十余メートルの大杉を、半山城主津野孫次郎親忠に伐採を命じました。その後、切られた大木の根元は、大地鳴動と共に土中に埋没し、そのあとにぽつりと一本の桜の木がはえ、ある時いずれからともなく白髭の老翁が現われ、その桜を伏拝んでこういいました。『ここに元あった大木は、神木であった。この桜はその木の精である。神の権化である。桜は嬰の木である。即ち子供の守護神であり、安産の神である。尊び崇め祀れ、必ずやごりやくがある霊験あらたかな神である。』と言っていずことも無く立ち去った。それからは、誰言うこともなくその木を神として拝み、いかなる難産の婦人といえども、その桜の木の葉を護符とすると、不思議に安産したという。しかしこの桜は山内家二代忠義公が、小倉少介政平に命じて五社の五つの社を造営した際、(慶安五年1651年)藩の武士や人夫が安産の御守りとして、土産に枝を折り、皮をはぎ持ち帰ったため桜は枯れ死してしまった。そこで里人はその桜の枝に小社を造り祀った。これが子安の宮の始である。その宮のほとりに神主が新たに桜を植え後に美しい花を咲かせる大木となったが、これも昭和十四・五年に枯れ、現在社務所前に小木が植えられている。以上が五社神木伝説として伝え継がれており、安産の守護神、子供の守り神様として、霊験あらたかな神と崇拝され、祈願の人、解願の人のお参りも多く、また縁結びの神様としても霊験あらたかと、近年若い男女のお参りも見られます。

社頭
木製鳥居 鳥居に掛かる額
社殿
本殿と社殿内の様子
社殿に掛かる社額 社殿左に掛かる額「仕出原集会所」