小村(おむら)神社

高岡郡日高村下分1889(平成23年3月31日)

東経133度23分44.13秒、北緯33度32分23.53秒に鎮座。

 この神社は小村神社前駅の北約360mに鎮座しています。参道入口の一の鳥居は33号線沿いにあり、そこから杉並木の参道が200m以上続いています。途中には二の鳥居、三の鳥居が建立され、玉取の珍しい土佐型狛犬も見られます。
 明るく広々とした境内に入ると、左には社務所が、右には尚徳館が配され、中央奥に村指定天然記念物・燈明杉(牡丹杉)を背後に聳えさせた、高屋根を持つトンボ様式の拝殿・幣殿と、流造の大きな本殿が建立されています。社殿両脇には境内社も三社祀られています。
 境内後ろに回ると、拝殿屋根上から見えていた燈明杉が根元から最上部までよく見ますが、「下枝は杉状、上枝は牡丹杉状を呈している」と云う案内の通りに、葉の付き方の違いがよく分かりました。
 この社は、土佐国二宮・国史見在社・旧県社なのですが、その社格・由緒・歴史を十二分に感じさせる、とても素晴らしい雰囲気の神社でした。また、若い神主さんとお話が出来ましたが、こよなく神社を愛する、素敵な方でした。

 御祭神:国常立尊
 祭礼日:春祭3月7日、夏祭7月20日、秋大祭11月15日、新嘗祭12月14日
 境内社:仁井田神社(山祖神・他五柱)、剱神社(曽我五郎・十郎)、秋葉神社(大已喜神他)
 由緒:小村神社は『日本三代実録』貞観十二年(870年)三月五日条の授位記事に『小村神従五位上』とみえる国史現在社で御祭神は国幣立尊である。7世紀前半頃の環頭大刀(かんとうのたち)(国宝)を御神体とする。
 境内からは県下では最古の部類となる鋼鉾を御神木(牡丹杉)の根元より神職が発見出土しており神社成立以前から土地の祭祀が行われる特別な場所であったと考えられている。
 社に伝わる仁治元(1240)年、貞和三(1347)年の棟札からは国衙が宮の造営にあたっていた記録がみえ、二の宮として尊重されていた事が知られる。尚参道に沿って千本杉遺跡の調査が実施されており古代〜近世の掘建柱様式の建物跡が検出されている。
 社宝には弥生時代から申世にわたる多くの文化財があり篤い信仰に支えられた歴史を感じとる事ができる。
 また神社の社殿の造りについては本殿が流造、幣殿・拝殿は中央部に高屋根を持つトンボ様式となっており約310年経っている。
 高知市一宮に鎮座する一の宮土佐神社に竝び土佐人の崇敬深い神社で国家安泰・家内安全・五穀豊穣・諸祈願に御利益のある請願成就の神様である。

剱神社縁の「瀬のぼりの太刀」
 今からおよそ八百年ぐらい前、源頼朝が鎌倉に幕府を開いた頃の話じゃ。伊豆国箱根権現の別当に行実という者がおったそうな。この行実は土佐の国高岡郡日下の圧、大和田の生まれの人で、どういう関係か曽我五郎の師匠じゃったと。曽我五郎というと、兄の十郎と共に、富士の裾野で父の仇、工藤祐経を討った仇討で有名じゃが、その兄弟が仇討の前に箱根権現へ別れの挨拶にやって来たそうな。その時に行実別当は宝物殿から太刀を二振り取り出してきて、その一つの「微塵(みじん)」を兄十郎に、弟五郎には「髭切丸(ひげきりまる)」をやったと。ところで兄弟は、富士の裾野で見事に父の仇を討ったが、将軍の陣まで斬りこんで行って討たれてしもうた。そこで髭切丸が見つかり、箱根権現に納めたものが何でここにある、早々に調べよー と頼朝の厳命が下った。これを聞いた行実別当は、自分のした事が知れると他の者に迷惑かけると思い、曽我五郎が形身にと置いていった太刀をもって山を降り、生まれ故郷の土佐国日下の圧、大和田へと向こうたそうな。ところが、日下の江尻まで辿りつき、そこの民家で休んでおる内に中風になって病みついてしまい、いまわのきわに宿の主人に、「この太刀は曽我五郎が使うた名刀で、下々の者が扱える物ではない。なるべく早く宮を作って納めておくがよい」こう言い残して死んでいったと。ところが宿主は強欲な男だったので、「へヘヘ、これは金もうけになるぞ。どこぞお大家の所へ売っちゃろ」と思うて、太刀をさげて仁淀川の河原へ行ったそうな。すると刀がひとりでにサヤを抜けて川へ飛んで入り、たちまち大蛇になると、川上さして上っていったと。以来、仁淀川に大蛇が現れ、川をゆききする人々を恐れさしたそりな。そこで江尻の人たちが集まり相談をして、行実別当の言い残したとおり、大急ぎで宮を作って太刀のサヤを納めてお祭りしたと。すると不思議なことに、いつの間にか太刀はサヤに納まって、それと共に大蛇は姿を消してしもうたそうな。この太刀をそれから<瀬のぼりの太刀>と呼ぶようになったが、いまひとつこの太刀を有名にした話がある。今から四百年ぐらい前の戦国時代のことじゃ。伊野波川の城主、波川玄蕃がこの太刀を申しうけ、身から離さず信仰しておったが、ある時の事じゃった。仁淀城で舟遊びしていて、急に敵にに襲われあわやという時に、この太刀がたちまちサヤから抜け出し、大蛇になって川瀬を登り敵を追い払って危難を救ったそうな。そこで<瀬のぼりの太刀>の名は再び高くなったという事じゃ。
日高物語より転載
(「小村神社の歴史と文化財」より抜粋)



 

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33号線沿いにある参道入口に立つ一の大鳥居 社号標
土佐二ノ宮小村神社」
駐車場と200m以上続く杉並木
杉並木手前に立つ二の鳥居
杉並木の参道
社頭
三の鳥居前にいる明治12年生まれ、玉取の土佐型狛犬
姿は土佐型ですが、阿吽共に玉を持って居るのは此処だけでした。また建立年の「令辰為」というのも始めてみました。日本国語大辞典によると『【令辰(れい‐しん)】とは(「令」は善、「辰」は時の意)めでたい時。すべて物事を行なうのによい日。吉辰。嘉辰。良辰。』…とのことです。
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(明治12年(1879)9月令辰為建立)
三の根巻鳥居
参道の様子
境内の様子
出トンボ式銅板葺の拝殿
拝殿に掛かる額「小邨大天神宮」
弊殿
流造銅板葺の本殿
本殿妻彫刻
本殿木鼻・龍
境内社:仁井田神社
境内社:剱神社 境内社:秋葉神社
神庫 尚徳館

村指定天然記念物・燈明杉(牡丹杉)
樹高・25m、目通り幹囲・5.4m、推定樹齢・伝承1000年
本殿背後に聳える神木で樹齢1000年以上といわれ、下枝は杉状、上枝は牡丹杉状を呈しています。また、宝永2年(1705)に起こった仁淀川の洪水、安政元年(1854)の安政南海地震、日露戦争などに際し、梢に霊火が灯った…と言い伝えられています。