瑞山神社

高知市仁井田3021(平成23年4月1日)

東経133度36分23.09秒、北緯33度32分1.52秒に鎮座。

 この神社は高知市市街地の南東、下田川と石土池の中間辺り247号線東に鎮座しています。
 「国指定史跡・武市半平太の旧宅と墓所」の間に、拝殿兼瑞山記念館が建立され、その後ろに回廊で繋がれた形で本殿が建立されています。昨年の大河ドラマ「坂本龍馬」から、またまた一大ブームが起こったのでしょうか? 247号線から丁寧な案内があり、神社、墓地まで迷うことなく行き着くことが出来ます。因みに毎年5月11日には、境内で「瑞山祭」が執り行われているようです。

 御祭神の武市瑞山とは
時代 江戸時代末期
生誕 文政12年9月27日(1829年10月24日)
死没 慶応元年閏5月11日(1865年7月3日)
別名 幼名:鹿衛
通称:半平太
諱:小盾
号:瑞山、茗澗
変名:柳川左門、柳川吹山
墓所 瑞山神社
官位 贈正四位
主君 山内容堂→山内豊範
藩 土佐藩士
父母 父・武市正恒 母・大井氏
兄弟 田内恵吉
妻 富子(島村氏)
子 武市半太
 日本の志士、武士、土佐藩郷士。土佐勤王党の盟主。通称は半平太で、武市 半平太(たけち はんぺいた)と呼称されることも多い。幼名は鹿衛。諱は小楯(こたて)。号は瑞山または茗澗。変名は柳川左門。後に柳川左門と変名した際は雅号を吹山とした。
 土佐藩郷士・武市正恒(白札格、51石)の長男。母は大井氏の娘。妻は土佐藩郷士島村氏の娘・富子。子女はなし。坂本龍馬とは遠縁にあたる。
 優れた剣術家であったが、黒船来航以降の時勢の動揺を受けて攘夷と挙藩勤王を掲げる土佐勤王党を結成。参政吉田東洋を暗殺して藩論を尊王攘夷に転換させることに成功した。京都と江戸での国事周旋によって一時は藩論を主導し、京洛における尊皇攘夷運動の中心的役割を担ったが、八月十八日の政変により政局が一変すると前藩主・山内容堂によって投獄される。1年8ヶ月20日の獄中闘争を経て切腹を命じられ、土佐勤王党は壊滅した。
 高知市にある半平太の旧宅と墓所は国の史跡に指定されており、旧宅近くに半平太を祀る瑞山神社がある。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)


神社遠景と、左は国指定史跡・武市半平太旧宅
社頭
明神鳥居
手水舎 境内には横波半島にあった
昔の銅像の刀が飾られています。
境内に建つ瑞山記念館
記念館内に展示されている、木製の「武市瑞山先生像」
本殿前のブロック塀
武市家一族墓地から見る本殿
本殿に掛かる額
遺詠記念碑
「花依清香愛 人以仁義栄 幽囚何可恥 只有赤心明」
「武市半平太旧宅及墓」案内
武市家一族墓地ヘ上がる石段
武市家一族墓地
仲良く並んでいる「武市冨之墓」と「武市半平太小楯」
境内から見える武市半平太旧宅