八王子宮

香美市土佐山田町北本町2-136(平成23年3月28日)

東経133度41分26.52秒、北緯33度36分28.49秒に鎮座。

 この神社は土讃線・土佐山田駅の北東約500m、八王子公園と隣接した、とても綺麗に整備された神社です。
 195号線から北上して神社に向かうと、土讃線の踏切の向こうに一の鳥居が見え、その前に昭和3年生まれの出雲構え獅子がいます。ここから境内までは凡そ200m、参道の両側は桜並木になっていますが、未だ蕾が多く2〜3分咲き、来週辺りが見頃だったようです。二の鳥居からは神社だけの参道となり、右手に土俵や社号標、遥拝殿・祖霊殿等が見られます。
 三の鳥居を潜り石段を上がると、境内入口では天保12年生まれの狛犬が出迎えてくれます。江戸時代後期頃の建築とみられている拝殿は豪華で装飾性に富み、本殿は大型の一間社入母屋造妻入の社殿です。社殿右側には八坂神社、天満宮が、左には数え切れないほどの末社が祀られていました。
 市内の市街地に近い神社で、環境的には余り期待していなかったのですが、小丘の中腹に造られた神社はとても緑が豊かで、整備が行き届いた清々しい雰囲気が溢れる神社でした。

 御祭神:大己貴神、大山咋神、天之忍穂耳神、天穂日神、天津日子根神、活津日子根神、熊野久須毘神、多紀理比賣神、多岐都比賣神、伊邪那岐神、伊邪那美神、国常立神、国狭槌神、可志古根神
 祭礼日:夏祭・7月24・25日、例祭・11月6・7日
 境内社:八坂神社、天満宮
 由緒:社伝によれば、室町時代にこの地の領主山田氏が近江の国(滋賀県)から勧請したといわれ、もと明治地区の八王子にあったが野中兼山が中井川を掘るにあたり、寛永17年(1640)、現在地に遷座した。
 現在の本殿は、大型の一間社入母屋造妻入で、全体の立ちが高く平面は縦長である。棟札、建築様式などから文化5年(1808)の建立で、のち江戸時代の末に改造が行われたと考えられる。
 幣殿拝殿は、本殿改造の頃の建築とみられている。梁間三間の入母屋造平入の大型社殿で、正面には千鳥破風が、向拝と両側面には唐破風があり、装飾性の高い建造物である。
 藩主山内氏をはじめ人々の崇敬厚く、それを物語る元禄3年銘の石灯籠など数々の奉納物がある。絵馬台は、高さ3m、長さ10m余り、唐破風、脇障子が付いており、これに河田小竜、広瀬金藏の五点の芝居絵をとりつけるようになっている。



神社遠景
一の鳥居前にいる昭和3年生まれの出雲構え獅子
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和3年(1928)11月吉辰日建立)
社号標 31号線沿いに立つ一の大鳥居
参道の様子
神社入り口に立つ二の台輪鳥居 鳥居に掛かる額
二の鳥居からの参道の様子
参道右側、駐車場脇の土俵 社号標
遥拝殿・祖霊殿
境内下に立つ三の台輪鳥居
境内へと続く石段参道
境内入口に立つ四の台輪鳥居 鳥居に掛かる額
境内入口にいる天保12年生まれの狛犬
かなり縦長で、大口でありながら小顔。吽には小さな突起があります。やや優雅さには欠けますが、土佐の狛犬の特徴を極限まで突き詰めると、この子達の様になるのでしょうか?
狛犬の拡大写真はこちらで
(天保12年(1841)辛丑8月吉日建立)
境内の様子
拝殿
江戸時代後期頃の建築とみられている。梁間三間の入母屋造平入の大型社殿で、正面には千鳥破風が、向拝と両側面には唐破風があり、装飾性の高い建造物である。
向拝下彫刻・天女
向拝下彫刻
拝殿木鼻・龍
拝殿内の様子
本殿
大型の一間社入母屋造妻入で、全体の立ちが高く平面は縦長である。棟札、建築様式などから文化5年(1808)の建立で、のち江戸時代の末に改造が行われたと考えられる。
本殿木鼻・象・龍・?
長押上彫刻・波乗りウサギ
境内社:八坂神社
境内社:天満宮
土佐山田町内で一番古い元禄3年奉納の石灯籠 境内社
境内北西に纏められた境内社群
参道から境内にかけて咲き乱れる桜の花々