熊野神社

幡多郡黒潮町熊井419(平成23年3月29日)

東経133度6分6.96秒、北緯33度5分59.27秒に鎮座。

 この神社は伊与喜駅の南約200mに鎮座しています。以前は神社の南の町道から参道が続いていたと思われますが、現在は56号線にも参道入口が造られ、上下二カ所の参道入口がありました。
 町道からの参道入口には、明治8年生まれの狛犬や鳥居、社号標、忠魂碑などがあり、芝生の坂道を上がっていくと、左手に56号線からの参道入口に立つ鳥居が見えてきます。
 その上の入口には石碑があり、表面には「伊與喜郷総鎮守 熊野神社 祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命、須佐之男命 寿永年間 源平戦乱の後 弁慶の父別当田辺湛増は紀州より舟で熊野浦に上陸 文治二年末 熊居に移り 熊野三所権現を鎮座する」、裏面には「熊野三所権現の伝承」として詳しい来歴が書かれていました。
 その後は坂道や石段の登りが約150m、自然林や杉林の中をふかふかの腐葉土を踏みしめての参道歩きとなり、やや息を上がらせながらものんびりとした散策気分が味わえる、自然環境豊かな道でした。境内に入ると社殿周囲には巨石がごろごろとした不可思議な世界が広がり、この地が信仰の対象となった所以が理解できました。

 御祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命、須佐之男命
 祭礼日:7月15日、11月1日
 由緒:約八〇〇年前源平戦乱の後弁慶の父湛増は、紀州田辺から舟で熊野浦に上陸。
 文治2年(1186)に熊井に移り住み法泉寺山に熊野三所権現を鎮座する。
 例祭は現在7月15日と11月1日 に行われ、特に秋祭りは 盛大で、神に作物の豊かな実りを感謝して、おなばれ、神輿もどし、花取り踊りが披露され一日中にぎわう。

町道からの下の参道入口
町道からの下の参道入口にいる明治8年生まれの狛犬
縦置きで、阿吽の位置が反対です。若々しい浪速狛犬ですが、惜しいことに阿の身体が真っ二つに割れ修復されています。
狛犬の拡大写真はこちらで
(明治8年(1875)乙亥9月吉日建立)
町道からの下の参道入口に立つ根巻鳥居 社号標
立石? 忠魂碑
参道の様子
56号線からの上の参道入口
56号線からの参道入口に立つ石碑
表:伊與喜郷総鎮守 熊野神社
「祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命、須佐之男命
寿永年間 源平戦乱の後 弁慶の父別当田辺湛増は紀州より舟で熊野浦に上陸
文治二年末 熊居に移り 熊野三所権現を鎮座する」
裏:熊野三所権現の伝承
「紀州熊野三山の権力者弁慶の父別当田辺湛増は、元源氏の生れで湛増の母と頼朝の父とは姉弟であるが、平治の乱(1159)以来平清盛に味方し、巨大な富と紀州熊野の政治 軍事 経済の実権を握る大権力者となる。…後略…
詳細は「熊野三所権現の伝承」拡大写真にてどうぞ
56号線からの上の参道入口に立つ明神鳥居 鳥居に掛かる額
「郷社 熊野神社」
参道の様子
境内入口まで凡そ150m、坂道や石段が続く参道は、自然林や杉林の中をふかふかの腐葉土を踏みしめての参道歩きとなり、やや息を上がらせながらものんびりとした散策気分が味わえる、自然環境豊かな道でした。
境内入口
拝殿
本殿覆い屋と本殿正面
境内の彼方此方に見られる巨石