三浦正八幡宮

横須賀市太田和5-2771(平成22年5月3日)

東経139度38分56.37秒、北緯35度13分48.04秒に鎮座。

 この神社は太田和緑地の北東約300mに鎮座しています。私達の持参した地図には記載が無く、道路に案内があったので急遽立ち寄った神社です。参道入口は小田和川沿いにあり、真っ直ぐに伸びた参道正面に石段と鳥居、豊かな鎮守の杜が良く見えます。石段を数段上がると鳥居が立ち、境内へはもう一度石段を上がります。境内入口にはランタン風の変わった灯籠が立ち、その後ろにまん丸目玉に穏やかな顔、ふくよかな体型をした安政6年建立の狛犬が居ます。境内正面には向拝のないお寺のお堂風の拝殿、大きな鞘堂に覆われた本殿が建立されています。実際には見えませんでしたが、本殿縁前には二対の小さな神殿狛犬が居そうです。
 さわやかな5月の風のように、案内に誘われて参拝させていただいた神社ですが、静かな環境の中に清々しい佇まいを見せる神社でした。

 御祭神:誉田別尊
 祭礼日:10月15日
 境内社:山神社、神明社、姥神社
 由緒:八幡社は古来武運を守護し、健康を司り、土を愛し、稔を扶け給う神として、崇敬最も厚く、村人其他参拝多く、御神徳の弥高く在りますを偲ばしむる。天文五丙申年9月14日、時の領主北条九郎為昌より鎌倉鶴ヶ岡八幡宮社領として、当太田和郷を寄進せられたと鎌倉鶴ヶ岡八幡宮古文書にある。
  慶長17年壬子8月22日、鎌倉鶴ヶ岡八幡宮を当村に分祀勧請し、小田和の真言宗安養院(今の蓮宗本住寺)の境外地に鎮座在した。当時安養院の住僧が別当に任じた今の宮畑と称する地が宮地であったとのことである。
 元禄4年未年11月15日、落成の社殿再建に当り、村人御造営を謀りし折、 12羽の丹頂鶴が宮の屋の棟に現れ、忽ち舞上りて北に進みて飛翔し、今の鶴巻田の辺りにて三度舞を巻き、更に北に進みて西の谷の小高き丘の森に舞降りて神跡をたれたので、今の宮地に社殿の造営は成ったとある。
 文久2壬戌年10月里庄浅葉仁右衛門は僅かの基金に多額の私財を投じて社殿を造営せられた。即ち、今の社殿がそれである。旧本殿は里人高木営造なる者願主となり、字林中尾に不動尊を祀り其の堂となって居る。
 文久4甲子年2月人皇第121代孝明天皇宸筆の御社号を賜る。相三浦神社正八幡宮の篆額がある。
 沿革書の記事は、鎌倉鶴ヶ岡八幡宮古文書、相模国風土記、浅葉家所蔵の文献、本住寺古文書により記す。

「境内由緒碑」はこちらで

社頭
社号標 入口に立つ靖国鳥居
石段参道の様子
境内入口
境内入口に立つランタン風の灯籠
境内手前の狛犬
安政6年建立で、まん丸目玉に穏やかな顔、ふくよかな体型をした尾流です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(安政6年(1859)己未正月吉祥日建立)
境内の様子
拝殿
拝殿長押上彫刻
拝殿内の様子
本殿鞘堂
拝殿入り口から見る本殿正面
遠くて暗くて実際には見えませんでしたが、写真を拡大してみると、本殿縁前に二対の神殿狛犬が居そうです。