十二所神社

横須賀市芦名1-21-25(平成22年5月3日)

東経139度36分27.36秒、北緯35度13分46.54秒に鎮座。

 この神社は大楠小学校の西約300mに鎮座しています。社号標の立つのは芦名海水浴場に近い海岸道路で、人家を抜けて森が見える頃、参道入口に石製両部鳥居が立っています。真っ直ぐ続く参道は突き当たりで石段となり、直登の石段上には文政元年生まれの出来の良い狛犬がいます。緑に覆われた境内奥に入母屋造りの拝殿と流造りの本殿が建立され、拝殿には「十二天神社」の額が掛かっていました。その他境内社も数社祀られています。

 御祭神:国常立尊から鵜葺草葺不合尊までの天神七代、地神五代の十二代の神々
 祭礼日:3月3日
 境内社:社名不明
 由緒:明治初期の頃までは、三浦十二天、または十二天明神と呼ばれていました。
 祭神は、天地創造の神話に登場する天の神国常立尊から七世代、地の神天照大神から五世代の神々です。
 神社の確実な創建年代については不明です。現在の大楠小学校門前に城山と言われている台地があり、そこに三浦大介義明の弟三郎為清の館があったと伝えられ、その鎮守として祭られたのがこの神社であると言われています。また、一説には、この神社の裏山から、平安時代末期の布目瓦が出土しており、すでに相当規模の集落をなしていたことが明らかになっております。当神社のいわれに「平安時代には十二天といわれ」とあることがうなずけます。いずれにしても、古い歴史を持った神社であることがうかがえます。
 寿永元年(1182)8月、源頼朝は、妻政子の安産祈願のため、箱根権現や伊豆山権現など近国の十二社に特使を派遣しました。この神社も、その一社に選ばれました。源平合戦一の谷で勇名をとどろかせた三浦大介義明の子佐原十郎義連が、頼朝に代わって参詣をしています。
 天正19年(1591)11月には、徳川家康から社領として朱印二石の寄進を受けています。
 更に、文政2年(1819)3月13日には、会津藩主松平容衆の代理として郡奉行石沢義則が、盛大に祭りを行ったことが記録として残っています。

社号標 参道入口に立つ石製両部鳥居
参道の様子
石段参道と境内入口
境内入口にいる文政元年生まれの狛犬
江戸狛犬ですが、尾立から尾流への移行期間に造られた、尾流初期の作品なのでしょうか?小顔で毛の流れと背中の綺麗な狛犬で、丁寧な彫りの、とても出来の良い作品だと思います。
狛犬の拡大写真はこちらで
(石工・源右衛門 文政元年(1818)戊寅8月吉日建立)
境内の様子
拝殿
拝殿に掛かる額
「十二天神社」
拝殿内の様子
本殿
境内社 合社
御神木・公孫樹 末社四社