金蔵院

横浜市磯子区磯子4-3-6 (令和6年12月26日)

東経139度37分22.27秒、北緯35度24分21.80秒に鎮座。

【神社情報・「狛犬さがし隊Kさん」より】
この寺院は、日枝大神の北側隣に鎮座しております。山号は海向山。宗派は高野山真言宗。

御本尊 薬師如来

由緒
『新編武蔵風土記稿』によると、1328年(嘉暦3年)に理空上人が開いたとある。
開創の縁起によると北条泰時が京都・栂尾の明恵上人のもとに仏学を学びに行った際、安阿弥の作による薬師像をもらいうけた。鎌倉近郊で像を安置するのに適した場所として、岡村の南端と広地町・久木町の境に近い、禅馬川の畔に霊雲山竜錫寺を建立した。子宝に恵まれなかった泰時は明恵上人に相談すると、如意輪観音を念じるよう勧められた。泰時は安阿弥に依頼して観音仏を作り、竜錫寺とは別の場所(山田谷と呼ばれていた)に観音堂を建立した。1326年(嘉暦元年)、竜錫寺は全焼。本尊は難を逃れたものの、しばらくそのままになっていた。現在の金蔵院所在地には草庵があり、理空上人がいた。1328年、理空はこの地に海向山岩松寺を開き、薬師像を迎え入れて本尊とした。金蔵院では、理空上人を中興開山としている。1333年(元弘3年)、北条氏は滅亡。1576年(天正4年)に頼巌により再興されるまで金蔵院は荒廃した。江戸時代初期に本堂が再建されたと考えられているが、詳しい史料は残されていない。
『新編武蔵風土記稿』によると山王社、伊勢宮、御嶽社、大六天社、遮愚儞社の5社の別当を兼帯していたとあるが、明治初期の神仏分離により兼帯を解かれた。
ウィキペディア より。

入口

本堂

屋根上の飛狛


由緒書き

観音堂

扁額

狛犬

観音様?