三浦郡葉山町木古庭928ー4 (令和7年1月6日)
東経139度37分45.89秒、北緯35度15分35.05秒に鎮座。
この神社は、横浜横須賀道路・横須賀ICの南西1.5km程の辺り、木古庭の街外れに鎮座しております。
御祭神 天照皇太神・向津日賣命
由緒
当地旧家にして元名主、伊東家(当主敏三郎氏)所蔵の地誌明細記及び社寺明細書によれば、神明社は、古来、木古庭の氏神として、藪の里1203番地に至って、天照皇太神と向津日賣命を奉斎して来ましたが、明治42年(1909)11月18日、政治権力の干渉により、廃祀となり、祭神は、上山口、杉山神社に合祀され、境内地は、仝神社の所有に帰し、社殿は取払われて、滅亡しました。
昭和21年(1946)、当地の有志は、祭神を杉山神社御在籍の儘、非公式に、不動堂境内の祠の一隅にお迎えして、祭祀を営み始めましたが、その祠も、老朽甚だしく、再び、御慮遇に窮する状態になりました。
昭和41年(1966)、有志12名、検討の結果、此の事態を打開する道は、神社再興以外にない、との結論に到着しました。幸いにも、前記伊東敏三郎氏が、現境内地1224平方米(370坪)を寄附されましたので、前記有志は、之に力を得て、神社設立発起人となり、広く浄財を募ると同時に、境内地の造成と、御神木の調達に着手、二ヵ年後の昭和43年(1968)8月に至って、漸く、本殿の完成を見るに至りました。
仝年仝月24日、遷宮式が挙行され、此の日、初めて、祭神は、60年間に亘る流離の末、漸く、此處に、安住の地を得られました。
神奈川県知事は、申請により、本神社と、その規則を厳密に審査し、本神社が、神道に従って、祭祀を行い、併せて、社会の福祉に貢献し得る能力を具備するものとして、昭和45年(1970)4月30日を以て、神社と、その規則を認証しましたので、神社は宗教法人となり、茲に神社の再興が達成されました。
仝昭和47年(1972)8月、杉山神社は、神明社設立を祝して、藪の里の旧領を神明社に無償贈与されました。
仝49年(1974)、現氏子総代11名、拝殿の建立を計画、氏子及び崇敬者より、浄財を募り、仝年9月、之を完成し、神社の施設を著しく拡張、整備しました。
境内由緒書き より。
参道
拝殿
本殿
山ノ神社鞘堂
山ノ神社本殿