荏柄(えがら)天神社

鎌倉市二階堂74 (平成24年2月26日)

東経139度34分3.05秒、北緯35度19分21.2秒に鎮座。

【神社情報・剣貝さんより】
JR鎌倉駅より徒歩20分程の所に一の鳥居があり、そこから5分程歩きますと二の鳥居があります。さらに長い参道階段を登らなくてはなりません。「漫画家清水崑氏や横山隆一氏らも当社を敬い、夫々にかっぱ筆塚 ・絵筆塚を建立されました。」
(当社栞 より)

御祭神 菅原道真・八雲大神
御由緒
荏柄天神社は、古くは荏柄山天満宮とも称され、福岡の太宰府天満宮、京都の北野天満宮と並ぶ三天神の一つに数えられる古来の名社で、愛知県に二社、広島県に一社、茨城の古河市を中心に千葉、埼玉の各県にわたって数社の分祠がある。荏柄の社号は、奈良時代の天平七年(七三五)の『相模国封戸租交易帳』(『正倉院文書』)や『倭名類聚抄』の相模国鎌倉郡にみえる「荏草郷」の「エガヤ」がのちに転じて「エガラ」となり、「荏柄」と表記されたものと考えられる。創祀については、社蔵の『相州鎌倉荏柄山天満宮略縁起』によると、平安末期の長治元年(一一〇四)八月二十五日に、一天俄かにかきくもり、雷雨と共に黒袍の束帯すがたの天神画像が天降り、里人がこの神験をおそれ降臨の地に社殿を建ててその画像を納め崇拝し、銀杏の木を植え神木としたとある。境内には今も銀杏の大木が高くそびえている。以下省略
神奈川県神社庁>荏柄天神社より

現存する本殿は,寛永元年(1624)の鶴岡八幡宮若宮の社殿造営に伴い,若宮の旧本殿を移築して再興されたものである。若宮は,正和5年(1315)再建後,中世を通じて維持されていることから,この本殿は14世紀に遡る可能性がある。
Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 荏柄天神社本殿の意味・解説 より

一の鳥居と社号標
参道

二の鳥居

参道階段

拝殿

拝殿内部

本殿

紅梅

御神木・大銀杏

手水舎&熊野権現社一の鳥居

熊野権現社

筆塚の説明

かっぱ筆塚

絵筆塚

神輿庫

境内案内図

御朱印