真土(しんど)神社

平塚市東真土3-5-8 (平成22年5月2日)

東経139度21分20.13秒、北緯35度21分12.82秒に鎮座。

この神社は、JR平塚駅の北4km程の辺り、住宅街のやや高い所に鎮座しております。

真土神社御由緒
創立年代不詳
例祭日 四月第二土曜日
祭神 建御名方命・天之御中命・伊邪那美命・天児屋根命・天照皇大神・宇迦御魂命・須佐之男命・日本武命
当神社の御祭神の数が多いのは、真土地域内の各地に御鎮座する諏訪神社・白山神社・本宮神社・神明神社・八坂神社・稲荷神社・御嶽神社の各祭神を明治の年間に一社に合祀し真土の総鎮守としたのである。

真土事件(しんどじけん)は1878年(明治11年)、神奈川県大住郡真土村(現平塚市)に起こった農民暴動。「真土騒動」「松木騒動」とも言う。
村の戸長(松木長右衛門)は勝手に村人の質地を自分の名義に変えてしまい裁判となる。一審では村人が勝訴したが、二審では敗訴。再審の費用の無い村人は暴動を起こし、戸長一家を殺害した。また泉鏡花はこの事件を素材とした『冠弥左衛門』を書いて文壇にテビューした。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より。

明治の始め神社を纏めた人が、真土事件被害者の松木長右衛門。貧しい農民の土地を我が物とした長右衛門は、今もここでは大悪人と思われているようです。この神社は珍しく北西向きなのですが、それも松木長右衛門専横の一例として、今でも悪口の種にされているそうです。

境内より100m程北西に立つ一の鳥居

社号標と参道

神社入口

境内と拝殿

本殿

境内脇に纏められた石碑や石仏

先代さんも一緒に纏められたのでしょうか。阿吽が逆なので、左右を入れ替え縦置きにしたようです。拡大写真はこちら。

(年代不明)

石仏 社日。詳しい説明はこちら。

不明の末社

神楽殿

神輿殿

招魂之碑