平塚八幡宮

平塚市浅間町1-6 (平成22年5月2日)

東経139度21分8.34秒、北緯35度19分50.55秒に鎮座。

この神社は、平塚宿の鎮守で、旧東海道と国道1号線の間に鎮座しております。JR平塚駅は1.2km程東にあり、現在周りは住宅街といった感じです。しかし境内は緑に囲まれ、静かな雰囲気の神社です。

祭神 応神天皇・神功皇后・武内宿禰
由緒
社伝によると仁徳天皇の六十八年、平穏な日々が続いていた相武(相模)の国に大地震があり里人の苦しみの様を聞かれた天皇が国土安穏を祈願して應神天皇の御神霊をお祀りされたのが平塚八幡宮の始まりです。

推古天皇の御代にも大地震があり人々を案じられた天皇は当宮に「鎮地大神」の御宸筆を賜り宝剣「天晴彦(あめのはるひこ)」を御奉納になりました。
その後も朝廷の信頼篤く、また源頼朝公は夫人政子の安産を祈願して神馬(白馬)の献上、徳川家康公をはじめ武人の信仰もあつめ、特に家康公は社領を寄進し御社殿を造営しました。

平塚は日本橋を起点とし東海道第七番目の宿場として賑わい、旅人は皆 道中の安全を祈り社頭は大いに栄えました。明和二年 社僧 本誉還真は十八年かけて浄財を集め青銅鳥居を奉献、奉賛者名は今も鳥居に刻まれて境内にそびえています。明和六年 官の達示により社名を「八幡神社」と改称しました。明治二十七年 明治天皇 皇女常宮昌子内親王 周宮房子内親王がご参拝し社前に松樹をお手植え、神池に緋鯉をご放生になりました。
大正十二年大震災の被害は大きく御社殿も崩壊しましたが、氏子、崇敬者の尽力のもと昭和三年に再建され、これが現在の御社殿となります。
平塚八幡宮公式サイトより。

神社全景

一の鳥居と社号標

入口左右の狛犬。拡大写真はこちら。

(大正11年(1922)8月21日建立)

参道

二の鳥居

境内(パノラマ)

境内入口左右、ブロンズの狛犬

(昭和46年(1971)10月吉日復興。大東亜戦争時供出したので、戦後再建したと思われます。)

拝殿

本殿


神明社

若宮社

諏訪社

絵馬