宇都母知神社

藤沢市打戻3012 (平成26年1月12日)

東経139度25分29.25秒、北緯35度23分19.64秒に鎮座。

この神社は、小田急江ノ島線・湘南台駅の西5km程の辺り、相模平野の田園風景の中にに鎮座しております。又、関東では比較的少ない式内社でもあります。

御祭神 武御名方命(たけみなかたのみこと)・八坂戸売命(やさかとめのみこと)

天照皇大御神は伊弉諾、伊弉冉二神の生み給う方で、高天原を治められ、神徳宏大で人々から敬われ、日神とも称え奉られた。稚産霊神(わくむすびのかみ)は豊受大神の御親神で五穀や養蚕を司る神であります。若日下部命(わかくさかべのみこと)は仁徳天皇の皇女で雄略天皇の皇后になられた方で非常に人徳の高い方で養蚕を盛んに奨励された。

由緒
当神社は創立年代は詳かではないが延喜式内社で二十一代雄略天皇の御代(西暦四九五年)に厳粛なる祭祀が行われたことが日本総風土記に記されている。なお風土記によると当神社の所在地は相模国鷹倉郡宇都母知郷にあったとあります。六十一代朱雀天皇天慶二年九月(西暦九三九年)、若日下部命の御尊霊を大和国泊瀬(はつせ)より遷座して相殿に奉祀されました。九十代伏見天皇正応三年八月(西暦一二九〇年)、鎌倉八代将軍久明親王の執権北條貞時が社殿を改築し、同年九月に参拝された。寛永四年十一月(西暦一六二七年)、領主高木主水源正次が社地九百坪(約三千平方米)を寄進し、また本殿の改築を行った。震災当時の建物は安政五年(西暦一八五八年)に建築されたもので当時の記録によると本殿九坪(約三十平方米)拝殿二十五坪(約八十二平方米)幣殿四坪(約十三平方米)神楽殿二十坪(約六十六平方米)であった。また、当神社は明治六年十二月に郷社に列せられた。大正十二年の関東大震災により、社殿等全てが倒壊したが村人一同の総力をあげた努力により倒壊後わずか三年、大正十五年九月に総てが現状のように復旧した。本殿神明造六坪(約二十平方米)幣殿五坪(約十六平方米)拝殿十二坪(約四十平方米)神楽殿十六坪(約五十三平方米)参集殿六十二坪(約二百平方米)神輿殿三坪(約十平方米)が再建された。境内地は約一丁六反(約一万六千平方米)で全域風致林の指定を受け、また昭和四十九年、自然環境保全地域の指定を受けている。打戻字大平二〇〇九番地には溜池一反五畝(約百五十平方米)の社有地もある。昭和二十年春戦争中、物資回収が行われ釣鐘が献納され鐘楼に鐘がないまゝであったが昭和五十年、天皇の即位五十年を記念して氏子総意により鐘が再建された。また、当神社の神輿は百数十貫といわれる豪華なもので毎年例祭日には氏子を始め近隣の崇敬者達多数により渡御が行われる。
神奈川県神社庁公式サイト より

境内由緒書きはこちら。

参道入口

参道

境内入口

境内入口、親父顔の江戸流れ。拡大写真はこちら。
(大正6年(1917)3月建立)

拝殿

本殿


菅原神社 打戻稲荷神社

御神木の椎の木