諏訪神社

曽於市末吉町諏訪方 (平成27年2月27日)

東経130度59分39.17秒、北緯31度39分58.16秒に鎮座。

この神社は、曽於市役所の北西3km程の辺り、末吉町諏訪方の街並をやや外れた杜の中に鎮座しております。

御祭神 事代主神・建御名方神・大日霊貴神

由緒
島津氏九代忠国公は薩隅日の諸豪族が背き、国内が騒然としたため、弟国久公を鹿児島清水城の守護に当らせ最も優勢な肝付氏、伊藤氏の南侵を鎮定するため、永享4年(1432)自ら兵を率いて末吉亀鶴城に出向して同城を根拠地とし、その折鹿児島坂元福ヶ迫の諏訪大明神を守護神として城内に勧請し崇敬された、その後反乱常ならず前後十ヶ年間しばしば亀鶴城に出向して鎮定にあたったが、その勢威は三州を被うに至らなかった。
戦国時代となり14代勝久公は天文5年(1536)丙申7月21日新たに福ヶ迫諏訪大明神下社を守護神として勧請し、城内の大明神とともに諏訪山に祀られた。16代義久公に至って肝付氏を下し、天正4年(1576)12月伊藤氏を高原に破って三州が平静に帰したため益々信仰を篤くされた。
村の宗朝として領主及び邑人の崇敬が篤かった。文化14年(1817)2月出火し、鳥居を除き社殿が烏有に帰したため安政5年(1858)3月改造、明治6年(1873)神社整理の折、長田神社となったが、昭和5年(1930)6月13日諏訪神社への復称が県より許可された。・・・・
境内由緒書き より。

参道入口と一の鳥居

神額

末社

末社

参道

参道は一旦下り又登ります。

境内入口と二の鳥居

拝殿

拝殿内部

本殿覆屋

本殿


脇社