万八千神社

鹿屋市串良町下小原4857 (平成27年2月28日)

東経130度56分41.22秒、北緯31度22分05.72秒に鎮座。

この神社は、鹿屋市役所の東8km程の辺り、串良町下小原の街外れに鎮座しております。

御祭神 別雷神・経津主神・武甕槌神・倉稲魂神

由緒
和銅二年領主仁禮氏が山城の賀茂神社を勧請し、賀茂大明神として創建した。その後文治年間、肝付氏二代河内守兼経が常陸の鹿島大明神、下総の香取大明神をも勧請して八幡大明神と称し、肝付氏の守護神として崇祀した。武神として、大隅国総八幡宮として大いに栄えたが、肝付氏没落後は島津氏により八幡の社号を剥奪され、八幡を逆読して万八千と称するようになったと伝えられる。
宝暦五年、領内一円からの大勧進により現在の総タブ材の社殿が造営された。
なお三国名勝図会によれば、弘安四年の元寇の際、万八千の大明神が九万八千の軍童子と化し、萩の弓薄の矢で元軍を悉く退治されたため、九万八千大明神と称されたという。
鹿児島県神社庁公式サイト より。

参道入口

参道

手水舎

拝殿

本殿覆屋

本殿正面


末社
速馬神社