諏訪神社

日置市東市来町湯田(平成22年1月7日)

東経130度20分19.09秒、北緯31度39分50.19秒に鎮座。

 この神社は湯之元球場西に鎮座しています。神社前には300m程の直線道路があり、流鏑馬が挙行された馬場の跡であると言われているそうです。その道路から見る神社の杜は大きくぽっこりと盛り上がりを見せ、入口には仁王像が置かれています。その仁王像の後ろには二基並立に建てられた台輪鳥居が建ち、此処も諏訪神社の「上下大明神」を正式な形で祀っていた由緒有る社だった事が分かります。杉林の中の境内は社殿に近付くにつれ薄暗く、社殿が建立されている辺りだけがやや開けています。社殿は厳重に戸締まりがされ、中に二社殿が建立されているかどうかは確認できませんでした。

 御祭神:建御名方命
 祭礼日:不明
 境内社:一社
 由緒:天照大神日本国を建設統御されて、出雲地方の大国主命に対し国を献上する様申し入れたが、次子建御名方命は承諾されず力比べが始まり、結局信州塩田の荘諏訪湖地方に追われてその地に止ゞまり給う。薩州島津の始祖忠久公は源頼朝公の庶子なり、生母は丹後の局という。
 初め信州塩田の荘の地頭職に任官され、その後薩摩入りされ、八代久豊公のとき、大国主命の次子建御名方命八坂入姫命長子事代主命を奉祀され、鳥居が三基建てられ、薩摩各郷に諏訪大明神社を奉建し、武勇の神として尊信せられる所以なり。
 この諏訪神社は約千年前建立され、市来郷荘社として住民の尊信を集め、島津家の信仰も厚く毎年奉幣使臣を遣わされ、特に貴久公・重豪公の如きは、数度にわたり治国平安子孫繁栄の祈願をされた、由緒ある神社である。

神社遠景
社頭
入口にいる仁王像
入口、二基並立に建てられた台輪鳥居
諏訪神社は「上下大明神」で、上宮と下宮の二つがセットとなり、この社のように鳥居が二つあるのが正しいとされています。しかし現在は一つしかないところが多く大変珍しいものです。
境内の様子
石段参道
社殿
社殿内は全く見えませんが、この社では鳥居と同じように、本殿も二社殿建立されているのでしょうか?
末社