高家神社

坂出市高屋町878(平成21年3月29日)

東経133度54分53.47秒、北緯34度19分57.56秒に鎮座。

 この神社は白峰山北西麓、白峯寺へと続く180号線沿いに新四国曼荼羅霊場第14番・観音寺と隣接して鎮座しています。
 境内入口には「血の宮」の碑が建ち、随神門には「崇徳天皇 高家神社」の額が架かっています。この地で無念の最期を遂げた崇徳天皇の棺を白峰に運ぶ途中雷雨に遭い、この神社で棺を休めたところ、棺から血が流れた落ちたことから「血の宮」と呼ばれるようになったとのことで、今も境内には「御棺臺石」が置かれる崇徳天皇縁の地ですが、境内は明るく清々しく綺麗に整備・清掃され、怨念らしき物は微塵も感じられませんでした。

 御祭神:天道根命、崇徳天皇、待賢門院、配祀神:大鞆和気尊、息長足姫尊、大己貴神、埴山比賣神、少彦名神、倉稲魂神、大山祇命、木花咲耶姫命、伊弉那伎命、伊弉那美命、豊受大神
 例祭日:祈年祭・2月17日、例祭・10月17日、新嘗祭・11月23日
 境内社:修勢神社、東山神社、稲荷神社、妙見宮
 由緒:古代、高家首の一族がこの地に住み、その祖神・天道根神を勧請して氏神として祀ったことに始まり、依って「高家神社」と称していました。
 長寛2年(1164)讃岐に流刑された崇徳天皇が薨去されたとき、棺を白峰に運ぶ途中、高屋村阿気の地に御棺を休め奉った時、俄に風雨雷鳴があり、御棺の臺石とした六角の石に血が少し滴り落ちていました。葬祭の後、村人は畏んで天皇の神霊をこの社の相殿に奉斎し、その血の滴った臺石を高家神社社内に納めたのが、この社が「血の宮」と称される由縁です。
 後世になり、応仁年間(1467〜69)には領主・細川勝元から、天正年間(1573〜93)には国司・生駒氏からも崇敬を受けてきました。

社頭
参道入口の明神鳥居 「血の宮」碑
随神門 随神門に架かる額
「崇徳天皇 高家神社」
随神門前にいる安政2年生まれの狛犬
堂々とした体格の浪速系狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(安政2年(1855)正月建立)
境内の様子
拝殿
拝殿屋根上の厳つい瓦材狛犬
拝殿内の様子
本殿
境内社入口 境内社:左から
修勢神社、東山神社、稲荷神社
境内社 境内社
御棺臺石
白峯にて崇徳天皇の御葬祭式が奉仕の途中、高屋村阿気という地に御棺を休め奉った時、俄に風雨雷鳴があり、御棺の臺石とした六角の石に血が少し滴り落ちていました。その血の滴った臺石を高家神社社内に納めました。この社が俗に「血の宮」と称される由縁です。
境内社:妙見宮
妙見宮屋根上の人物
水瓶を背に柄杓や杯を持ったこの人物は何方でしょう?
拝殿前から随神門を振り返る 見事に咲いた椿寒桜?