浪打八幡宮

三豊市詫間町詫間(平成21年3月30日)

東経133度40分29.64秒、北緯34度13分00.58秒に鎮座。

 この神社は三豊市役所支所の南西約120mに鎮座しています。詫間町の中心地で、一の鳥居の周囲は旅館やスーパーなどで賑わっていますが、鎮守の杜は大きく豊かに残され、小丘上まで続いています。境内でお話しした宮司さんもおっしゃっていましたが、街中にこの豊かな自然林の鎮守の杜を残しておくのは大変なご苦労があったようです。ご苦労の程が偲ばれ、ただただ感謝・感謝!! 
 玉垣が巡らされた入口の二の鳥居を潜ると駐車場となっており、その奥に三の鳥居、随神門へと参道は続いていますが、その間にチョッとおデブな力強い狛犬や随神門内には浪速狛犬がいました。その随神門に張り紙があり何となく読み進むと…何と2007年6月12日未明に神社社殿は全焼…と書かれているではありませんか。不幸中の幸いと云うか「本殿奥のご神体は無事」という事でまずは安堵しましたが、現在どういう形で神社の機能が保たれているのか、不安な気持ちを抱きつつの参拝となりました。
 随神門の後ろ、参道左には境内社・恵比寿神社が祀られ、左右に玉垣が施された石段の参道を上がっていくと、急に目の前が開け、左に仮拝殿としての機能を果たしている参集殿が建ち、右には境内社・忠魂社が祀られています。更に数段の石段があり、最上段の境内には縄張りが張り巡らされた中に、金色の御幣が三本立てられた本殿土台が造られていました。宮司さんにお聞きしたところでは、社殿造営のめども立ち来年には新社殿が完成するとのこと、再訪の砌にはきっと以前のような素晴らしい社殿が造営されていることでしょう。
 その他境内には宗光神社、高津神社、宗良親王社等が祀られ、未だ芽吹き前の御神木も勢いよく境内に張り出していました。

 御祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
 例祭日:10月第四日曜日
 境内社:宗光神社 高津神社 恵比寿神社、忠魂社、宗良親王社等
 由緒:社伝によれば、推古天皇12年(604)敏建天皇の皇子・高村親王の創建と伝えられ、神像は敏達天皇のお造りになった物といわれています。 又、貞觀元年(859)宇佐八幡宮を男山に遷座の砌、海上の風波が強く此の浦に停泊した縁で奉齋する所となったともいわれています。
 往古より、琴弾八幡宮、熊岡八幡宮と共に三大八幡宮と称せられ、西讃地方の豪族や国主生駒家、京極家の藩主の崇敬が篤く、たびたびの社領寄進がありました。
 明治4年郷社に列しました。
(神社名鑑より)

参道入口の一の鳥居 神社入口の二の鳥居
随神門前の三の鳥居 社号標
昭和35年生まれのチョッとおデブな力強い狛犬です。
狛犬の拡大写真はこちらで
(昭和35年(1960)10月吉日建立)
随神門
随神門内にいる建立年代不明の浪速狛犬
えらの張った厳つい顔つきで、綺麗な蹲踞をしています。
狛犬の拡大写真はこちらで
随神門後ろ、
参道左の境内社:恵比寿神社
石段の参道
中間の境内入口
現在は仮拝殿としての機能を果たしている参集殿
参集殿と対面に祀られる境内社:忠魂社
最上段の境内入口
縄張りが張り巡らされた中に、金色の御幣が三本立てられた本殿土台が造られています。
神輿殿 祓殿
境内社:高津神社 境内社:宗光神社
境内社:宗良親王社 天満宮遥拝処
境内社 境内社
境内社 境内の様子と御神木