諏訪神社

久慈市長内町35-98-3 (平成27年8月20日)

東経141度48分06.94秒、北緯40度11分05.27秒に鎮座。

この神社は、久慈市役所の東南東2km程の辺り、久慈港を見下ろす高台に鎮座しております。

御祭神 健御名方命

由緒
文治5年(1189)源義経追伐の将、畠山重忠公の創建。
建久2年(1191)南部藩祖南部光行公の勧請。
久慈市長内町の高台に鎮座し、古くから氏神様として当地方の信仰を集めている。南部藩主が代参を遣わしたいう記録もあり、南部家と縁のあった神社であったことを偲ばせる。
また海上安全の神としても各地域からの信仰を集め、江戸時代、この地を通った商人などが納めた絵馬も残されている。
岩手県神道青年会公式サイト より。

悲劇の名将と世にうたわれた源九郎判官義経は、兄の頼朝に追われ、文治5年(1189)4月平泉の高館において31歳を一期として自刃したが、短くも華麗だったその生涯を想い後世の人々は”義経は、その1年前にひそかに平泉を脱し、北をめざして旅に出た”という伝説を作りあげたのである。世にいう「判官びいき」であろう。
その伝説の一つに”平泉を脱出して義経主従の追捕を命じられたのが畠山重忠であったが、落ちゆく義経に同情した同人はわざと矢をはずし義経を助けた”と伝えられている。
その時、松の木にあたった矢を神体として祠を建てたのがこの諏訪神社のあじまりであるという。
境内由緒書き より。

参道入口と一の鳥居。左手は諏訪公園。

参道

境内入口

拝殿

拝殿前の江戸流れ。拡大写真はこちら。
(天保4年(1833)癸巳6月吉日建立)

拝殿内部

本殿


末社

境内より見る久慈港