小松市古府町カ169 (平成26年10月18日)
東経136度30分20.73秒、北緯36度24分12.71秒に鎮座。
この神社は、JR北陸本線・小松駅の東4km程の辺り、古府町の街外れ、梯川のすぐ北側に鎮座しております。
御祭神 櫛日方別命
由緒
今を去る千百六十余年前の弘仁14年(823)3月越前国から分かれて加賀国ができた。その府庁のあった所がこの近くである。その南に当社がすでに祀られていたと伝えられる。府の南にあったので府南社とも称え、この地を府南山と号した。当時国司は、毎月1日に加賀の主な神社八社を廻り参詣した。やがて当社を加賀国総社とし、ここを参拝することによって八社を廻るのに代えた。当時の当社の隆盛と規模の雄大さは、加賀国第一であったと言われている。
延喜年間(901〜922)に「式内社」に列せられ、神名帳に登録されている。安元2年(1176)に国司と白山衆徒との爭乱による涌泉寺事件に関係して、神社は大きな被害をうけた。その後往年の盛況はなく、応永28年(1421)の足利義持判書に「南禅寺領加賀国府南社御供田云々」とある如く、南禅寺と所領爭いもあった。
慶長5年(1600)小松城主丹羽長重は、社殿を修理し宝物を納められた。加賀三代藩主前田利常は厚く当社を尊信し、歴代藩主もまた厚く敬い奉幣した。明治5年(1872)8月郷社に列せられた。明治39年(1906)12月神饌幣帛料供進社に指定された。現拝殿は昭和6年(1931)3月、神殿は昭和37年(1962)3月に造営された。
幾数年の間に栄枯盛衰はくり返された。今は盛時の面影はないが、附近に残る数々の遺跡や旧地名に、往年の状況を偲ぶことができる。どんなに変ろうと常に当社に敬神の誠を捧げ、お仕えしてきたのはこの国府(こう)の人達である。神もまたとこしえに私達をお守りになっている。
境内由緒書き より。
由緒
昔から船南山といわれ、弘仁14年加賀置国の時、本社は国府の南に当たっていたので府南社ともいわれ、加賀の惣社であった。式内社で白山八宮中に数えられ、歴代の国司の崇敬が篤かった。慶長年間小松城主丹羽長重が社殿の改築を行い、寛永年間前田利常が神宝を奉納した。明治5年8月郷社に列格。同39年12月神饌幣帛料供進神社に指定。昭和37年社殿改築。
石川県神社庁公式サイト より。
参道入口と一の鳥居
神額と社号標 | |
二の鳥居
拝殿前の出雲型狛犬。拡大写真はこちら。 | |
(年代不明) |
拝殿
本殿覆屋
杜