鹿嶋神社

結城郡八千代町野爪430(平成20年7月20日)

東経139度55分6.67秒、北緯36度11分56.77秒に鎮座。

【狛見倶楽部 佐野支部 クマちゃん通信員より】
神社は、136号線を北上、道路沿い右側、野爪地区にあります。昭和61年の狛犬が居りました。本殿が町指定文化財になっています。拝殿前の燈籠の内、古いものは元禄12年と14年のものでした。夫婦杉がありますが、片方は枯れてしまったようで寂しいです。野爪緑地環境保全地域の境内は、とても涼しかったです。

御祭神:武甕槌命・経津主命・天児屋根命・比淘蜷_
由緒沿革
 当社の創建は古く、奈良朝時代と云われている。社殿によると平城天皇の御代、大同元年大織冠藤原鎌足公の苗裔藤原音麻呂、常陸国一の宮鹿嶋神宮の御分霊を迎えて之の地に奉斎し子孫代々祀事する。承平五年五月平将門の乱の兵火により社殿炎上する。将門記にある野本の戦いは即ち之である。
 永享十二年結城合戦の折にも社殿炎上した、然るに結城城主は代々当社を崇敬すること殊に厚く十一代氏朝公は直ちに小川城主小川弾正又五郎を作事奉行として宝徳二年社殿を再建造営し、奉謝の誠を捧げた。安永元年八月大風災により社殿大破に及び安永七年起工、寛政元年九月竣工正遷宮を厳修する現存の本殿は之である。
 慶長十九年徳川家康公は伊那備前守に命じて当社の由緒を調閲せしめ寄付地を寄進せられた。次いで慶安元年八月三代将軍家光公は神官大久保治部守藤原政植の時代、御朱印地社領石高十五石を寄進せられた。以後代々の将軍も先規に任かせ社領を寄進され、その御朱印状判物等今もって現存する。
 寛永二年二月神祇官は正一位鹿嶋大明神の神位を進奉せられた。
 明治以前は社中境内七千七百坪を有し十六郷総鎮守旧郷社として近郷の信仰の中心であった。明治四十年七月川西村神餞幣帛料供進神社として県より指定される。・・・・・
境内由緒書より。

鹿嶋神社とその文化財
鹿嶋神社は、平安時代初期の大同元年(806)に藤原鎌足の後裔藤原音麿によって、常陸国一の宮の鹿嶋神宮の神霊が、当地に分祀されたのに起源する。
結城朝光以降、結城家代々の尊崇を受け隆盛をみるが、度重なる戦乱や天災に遭遇し、社殿喪失の憂目をみている。しかし、結城家一族や地域の人々の信仰に支えられ、また当神社の神官の献身によって再建され今日に至って居る。江戸時代には、真壁郡下十六カ村の郷社として崇拝されてきた。当神社の歴史的社会的役割は、幕府からも高く評価され、慶安元年(1648)の家光将軍からの発給を初めとして、合わせて九代の将軍から朱印状が授与されている。・・・・・
八千代町教育委員会

由緒書全文はこちら。

神社入り口と社号標。常陸国十六郷総鎮守鹿嶋神社と書かれています。

参道

拝殿前の昭和狛犬

(昭和61年(1986)建立)

拝殿

鹿嶋神社の額と拝殿内部

本殿

八龍神社 天満宮
十二所神社 三日月神社

元禄12・14年奉納の燈籠

神楽殿? 夫婦杉

神社と共に後世に残したいものです。