筑波山

つくば市筑波(平成20年7月13日)

この筑波山を開いたのは、東北地方に偉大な足跡を残した徳一。奈良時代から平安時代初期に生きた、法相宗の僧であった徳一が造ったのは勿論お寺。明治迄は筑波山中禅寺。現在の筑波山神社の地にあり、男体山、女体山はそれぞれ千手観音、十一面観音を本地仏とする大権現として崇められていて、筑波山全体が観音垂迩の聖地であったようです。

左手のピークが男体山、やや低い右手が女体山。中央の低い所が御幸ケ原。ケーブルカー山頂駅があります。標高は男体山871m、女体山877m。現在は筑波男大神=伊弉諾尊・筑波女大神=伊弉冊尊となっています。

「つくばねの峰より落つるみなの川こひぞつもりて淵となりぬる」。漢字で書くと「男女川」。現在の案内図には書かれていませんがケーブルカーの東側を流れているようです。もっとも、川の流れは変わり易いものですから、詮索してもしょうがない事かも知れません。古より、男女一組の神と仰がれていたのでしょう。

筑波山温泉街入り口に立つ大鳥居

この度は、案内図の筑波山1日ハイキングコース、白蛇弁天・女体山・男体山といった順路を行きました。その入り口に立つ石碑。奉納者の名前に屋号が書かれているので、江戸時代の奉納と思われます。

白蛇弁天と石碑。白蛇は弁天様の化身とされ、水の神、高淤加美神(たかおかみのかみ)が祀られています。石碑の文字の一番目は梵字に見えます。多分弁財天を表す梵字を刻んだのでしょう。御祭神は差し替えられても、名称はそのまま残ったと思われます。

道程の石碑と登山道

鬱蒼とした杜の中を行くこと、二時間程で山頂です。

つつじケ丘〜女体山、との合流点。嘗て弁慶茶屋が有った場所のようです。

弁慶七戻り。流石の武蔵坊弁慶も潜るのをためらったのだろうか。

高天ケ原

母の胎内くぐり

出船入船 不明

北斗岩

百名山の中では最も低いと言われていますが、やはり運動不足の身には堪えます。

大仏石 山頂の石碑

この後、女体山本殿、ケーブルカー山頂駅、男体山本殿と続きます。女体山山頂より見るつつじケ丘。

不明 セキレイ石

ここにセキレイが止まり男の神様(男体山)と女の神様(女体山)の縁結びをしたという伝説があるようです。

日本神話の国産みでは、イザナギとイザナミが性交の仕方がわからなかったところにセキレイが現れ、セキレイが尾を上下に振る動作を見て性交の仕方を知ったとされる。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より