金村別雷(かなむらわけいかづち)神社

つくば市上郷8320 (平成21年11月15日)

東経140度0分10.45秒、北緯36度4分59.75秒に鎮座。

 この神社は小貝川左岸に鎮座し、川にはこの社への参拝専用と思われる橋まで架かるほどの大きな神社です。関東三雷神の一つで、「雨乞い」の神として絶大なる崇敬を受けているようです。この日も七五三、お七夜などでご祈祷を受けておられる方のみならず、テレビか映画の撮影隊が入って境内はかなりの賑わいを見せていました。
 参道入口に建つ靖国鳥居から境内までは約150m程あり、参道途中には見事な古樹が二本聳え参道に一段と風情を与えています。境内入口手前には建立年代不明の出雲丹後狛犬がおり、境内には銀杏の木がたくさんありましたが、流石に神職さんがいらっしゃる神社、毎日掃き清めていらっしゃるのでしょう、落ち葉はなく地面には箒目が付いていました。
 境内にも建立年代不明の大きな江戸流狛犬がいて、入母屋造千鳥破風付き拝殿、神楽殿、回廊等は市指定有形文化財、宝永5年(1708)建立の一間社流造本殿は県指定文化財建造物となっており、本殿は柿葺きの屋根で至る所に施された精巧な彫刻類が見事でした。
 その他、合社には14柱の神々が祀られ、又、江戸時代の寛政享和年中にこの地域の代官となり、婦女子の間引きを改めさせ農業を奨励するなどの徳政を行った「竹垣代官徳政の碑」もあります。

 御祭神:別雷大神
 祭礼日:御目覚祭(元旦祭)・1月1日、春大祭・4月第2土・日曜日、秋大祭・11月23日
 境内社: 丹生神社、角身神社、神明神社、身代神社、須賀神社、稲荷神社、貴船神社、養蚕神社、八幡神社、厳嶋神社、天満宮、愛宕神社、鹿嶋神社、科戸神社
 由緒:当社は承平元年(931)時の領主桓武帝の皇孫豊田公が霊夢に感応ただちに西京加茂別雷大神の御分霊を奉迎この地に鎮祭したという。
 その後豊田四郎將基、源頼義・義家父子の副将を拝命 康平5年9月衣川の激戦に河水満漲して甚だ悩んでいた時、旗印の神竜忽ち橋を出現させ、さしもの堅陣を壊滅させたという。これこそ御冷泉帝から下賜された「つぐみ竜」紋の神旗で当社の重宝となっている。
 祭神の別雷大神は雷を支配統御する神で、霹靂一声正邪を正し悪事災難を消滅させる荒魂と、旱天に慈雨を恵んでやまない和魂の剛温両面の神格を有することで知られ、金村様別雷神様と親しまれて、日参、月参、年参の風を今に伝えている。
 明治6年郷社に列格、昭和5年に奉齊壱阡年祭を厳修した。昭和55年の奉齊壱阡五拾年を迎えるに当たり奉賛会を結成、氏子・講中・崇敬者各位の御協賛により千載に遺る意義深い記念事業を完遂した。

参道入口に建つ靖国鳥居 社号標
参道途中に聳える見事な古樹
参道の様子
境内手前にいる建立年代不明の出雲丹後狛犬
狛犬の拡大写真はこちらで
社頭
社号標
「茨城県指定文化財 
茨城百景 金村別雷神社」
境内入口の明神鳥居
金村別雷神社御榊山 神輿殿
境内の様子
境内にいる建立年代不明の江戸流狛犬
大きく熊のような立派な体格の狛犬で、傍を通ると阿は低く唸り声を上げて、威嚇しているような感じです。
狛犬の拡大写真はこちらで
市指定有形文化財・明治12年再建の入母屋造千鳥破風付き拝殿
拝殿目貫彫刻・龍
綺麗な彩色が施してあり、顔を真っ直ぐ前方に向ける姿は余り見かけない珍しいポーズです。
拝殿内の様子
本殿覆い屋
県指定文化財 建造物・宝永5年(1708)建立の一間社流造本殿
柿葺きの屋根で、至る所に施された精巧な彫刻類が見事です。
本殿彫刻類の写真はこちらで
本殿後ろに祀られる合社
丹生神社、角身神社、神明神社、身代神社、須賀神社、稲荷神社、貴船神社、
養蚕神社、八幡神社、厳嶋神社、天満宮、愛宕神社、鹿嶋神社、科戸神社
市指定有形文化財・明治12年再建の神楽殿 竹垣代官徳政の碑
市指定有形文化財・明治12年再建の回廊