日枝神社

土浦市東城寺127-1(平成20年10月11日)

東経140度9分41.57秒、北緯36度9分11.27秒に鎮座。

 この神社は「小野小町の墓」から南に約600mの辺りに鎮座しています。参道が350mもあり、そこで弘仁元年(810)から伝わる古式豊かな流鏑馬が行われているようで、参道脇には一から三までの矢場の立て札が立っています。突き当たりの境内入口には「流鏑馬祭の碑」も建立されていました。境内そのものは余り広くはありませんが、本殿には素敵な彫刻が施されており、鎮守の杜も豊かで、気持ちの良い参拝が出来ました。

 御祭神:大山咋命
 祭礼日:旧暦四月の申の日
 由緒:俗称を沢辺山王さまと呼ばれるこの社の創建は、平城天皇の大同2年(807)、五穀豊穣の作神として近江国日吉大社の神霊を分祀し祀ったのが起源とされます。
 その後、火災により焼失してしまったので、延享5年(1748)4月、再建されたのが現社殿で、宝永5年(1708)正一位山王大権現の称号を賜り、山の荘八ケ村の総社となりました。
 明治2年3月10日、社号を日枝神社と改称し、明治6年3月、郷社に列格、大正3年3月26日供進指定社となり、昭和27年10月24日、宗教法人を設立しました。
 祭礼日に奉納される流鏑馬は弘仁元年(810)頃から行われているようですが、伝承によると
「境内におおきな社の木があって頭の大猿がすみつき、その大猿が村里に出没し、作物を食い荒らし、百姓たちを困らせていたのですが、 この地を治めていた小神野越前守(従羅天)は、家臣で弓の達人高倉村(千代田町)の市川将覧に力を借りて大猿を退治して、百姓達の難儀を救った。」と伝えられています。
 この伝説を元として、山ノ荘の平和と五穀豊穣を祈願する流鏑馬神事として拝殿前の馬場で奉納するようになったのだそうです。現在では近江坂本の日枝・東京赤坂の日枝と並んで日本三大日枝流鏑馬祭といわれています。

神社入口
御輿御派所 参道
流鏑馬祭の碑 境内入口から参道を振り返る
境内入口
県指定工芸品・石造燈籠
この燈籠は花崗岩材で作られ、高さは2.3mあります。永正8天辛未12月20日(1511年)の銘があり、社前の燈籠としては県内最古の在銘で、室町時代の基準となる資料として貴重な文化遺産だそうです。
社殿全景
拝殿 拝殿と朱の太鼓橋で繋がれた神楽殿?
本殿
本殿の木鼻・狛犬と象
向拝彫刻は龍なのですが、前方からの撮影は
困難でこちらは社殿側から撮したものです。
日枝神社らしく欄間には
猿の彫刻が施されています。
本殿妻の彫刻類
本殿四隅の柱に取り付けられた木鼻狛犬
「多方木方位之命、彦佐津知之命、宇茅葺合之命」碑